アメリカ合衆国とニックネームの由来 その25 The Magnolia State

ミシシッピ州(Mississippi)はメキシコ湾に臨む温暖湿潤気候が特徴で、州都で最大都市はジャクソン(Jackson)です。「The Magnolia State」とあるように、木蓮(Magnolia)で有名でコブシの香りが芳醇なことで知られる花です。17世紀から18世紀のフランスの植物学者、ピエール・マニョル (Pierre Magnol)から名付けられたといわれます。木蓮の木は恐竜が生きていた頃にも存在していたとされ、以来変わらずに美しい花を咲かせていることから「持続性」という花言葉が付けられました。「崇高」とか「気品」といった形容詞もつけられている花です。

旧石器時代の北米大陸に定住していた原始的な古代インディアンのパレオ・インディアン(Paleo-Indians)が住んで農耕を営んでいたのがミシシッピといわれます。現インディアンのチカソー族(Chickkasaw)やチョクトー族(Choctaw)、オジブワ族(Ojibwa)の祖先というわけです。「Mississippi」とはオジブワ部族語で「大きな川」という意味だそうです

この地域に入った最初のヨーロッパ人探検家はスペイン人のヘルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)です。彼はインカ帝国を滅ぼした探検家としても知られています。1504年には、ミシシッピはスペイン、フランス、イギリスの各植民地政府が支配します。さらに労働力としてアフリカ人奴隷を輸入していきます。フランスとスペインの統治下では、自由有色人階級が発展し、その大半はヨーロッパ人と奴隷化された女性とその子供達の多人種の子孫といわれます。

ミシシッピ川は12月から6月にかけて北部州の雪解け水が増加し洪水を起こしてきました。こうしてミシシッピ川の支流流域を含めたデルタ地帯に肥沃な洪積平野を作り上げ、綿花の栽培が盛んになりました。しかし、洪水やハリケーン、綿花の価格低下、労働力の流失などにより税収が減り、今は連邦政府補助金に頼る状況が続いています。

ミシシッピ州はブラックベルト(Black Belt)に属し、黒人多数派の時代が南北戦争前から1930年代まで続きます。今でもアフリカ系アメリカ人は人口の約37%を構成しています。南北戦争後は、40万人近いアフリカ系アメリカ人が北部や中西部および西部へ新たな機会を求めて移住したとあります。