ユダヤ人の渡来はヨーロッパ人の渡来と同じ時期だったようです。ポルトガル人の渡来が1543年ですが、それに続くヨーロッパ人の中に「マラノス(Marannos)」と呼ばれた表向きはキリスト教への改宗者が渡来者に多数交じっていたようです。「マラノス」は秘かにユダヤ教を守り続けた者でもありました。14世紀や15世紀になるとイベリア半島(Iberian Peninsula)ではユダヤ教を信奉することが強く非難されるようになりました。「Marannos」という単語の他に、改宗者という意味の「Converso」という単語もスペイン(Spain)やポルトガル(Portugue)にあります。
大航海時代の船員や乗組んでいた医師や商人のなかにユダヤ系の名前がでてきます。渡航者の中では、フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)はスペインのバスク(Basque)出身のユダヤ人でありました。さらに同行した医師兼通事であったルイス・アルメイダ(Luís de Almeida)が「マラノス」であったという記録があります。アルメイダは豊後府内にて私財を投じて乳児院や日本初の総合病院を建てます。九州全域をまわって医療活動を行いながら、医学教育も始め医師の養成にもあたったという人です。
ラビ(rabbi)であったマーヴィン・トケイヤー(Marvin Tokayer)が著した「ユダヤ製国家日本」には日本におけるユダヤ人の活躍が書かれています。種子島に鉄砲をもたらした初頭期の人の中に、フェルナン・メンデス・ピント(Fernao Mendes Pinto)がいました。彼もまた改宗者となった「マラノス」でした。ピントは膨大な旅行記も書いたそうです。また、明治期のお雇い外国人の二割ぐらいはユダヤ人であり、大日本帝国憲法の起草に大きな影響を与えたアルバート・モッセ(Albert Mosse)や、日本における歴史学の父で東京帝国大学史学科で教えたルートヴィヒ・リース(Ludwig Riess)らもユダヤ人でありました。