エスノセントリズム(ethnocentrism)は、「民族」を意味するギリシャ語エトノス(ethnos)が語源とされています。巷で使われる単語に「ethnic」があります。民族的とか少数派民族、などという意味です。エスノセントリズムは「自民族中心主義」といわれます。古代のギリシャやローマ人は仲間以外のすべてを「野蛮人」と呼んだ歴史があります。「中華思想」は「華夷思想」とも呼ばれ、漢民族の居住する黄河下流と中原とし、それ以外の地、辺境に住む民族を「夷狄」とし文化程度の低い蛮族と見なしてた時代がありました。日本でも北海道は昔は「蝦夷」と呼ばれました。異端視した呼称です。「夷」えびすとも呼ばれ、岩波の国語辞典によれば「東方の未開人」とあります。
自民族中心主義といえば、アーリア人種論(Aryan)を取り上げる必要があります。Encyclopaedia Britannicaによりますと、アーリア人はもともと古代「インド・ヨーロッパ語族」と呼ばれ、先史時台はイランや北インドに定住した人々といわれます。やがて南ロシア地方に居住し牧畜を営んだ民族の一つであると考えられています。体ですが色は白く、背が高く、鼻は真っ直ぐに高く、容姿が整い、使われていた言語は現代ヨーロッパ諸民族の古語であるゴート語(Gothic)、ケルト語(Celtic)、ペルシャ語(Persian)などと同一系といわれます。
1853年にフランスの文人で外交官であったアーサー・ド・ゴビノー(Arthur Comte de Gobineau)が『諸人種の不平等に関する試論』という本を書き、そのなかで中で白人至上主義を提唱し、アーリア人を支配人種と位置づけます。この本をきっかけに、アーリア人種のことが神話のように広ろがります。そして「金髪、高貴で勇敢、勤勉で誠実、健康で強靭」というアーリア人種のイメージは彼らの理想像となり、アーリア人種論はヒトラーの思想形成にも影響を及ぼしたといわれます。アーリア人種はドイツ民族と同義語になり、ドイツ民族こそがアーリア人種の理想を体現する民族であると謳歌するのです。この人種至上主義はドイツのナショナリズムを統合する精神となっていきます。