我が国でも非常に知られ、教育界に影響を与えている発達心理学者にレフ・ヴィゴツキ(Lev Vygotsky)がいます。彼は当時のロシア帝国の一部、ベラルーシ(Belarus)でユダヤ系の家族に生まれます。父親は銀行家でした。ベラルーシは、西はポーランド、北はバルト三国に位置し、今はベラルーシ共和国となっています。
1913年にヴィゴツキは国立モスクワ大学 (Moscow State University) に入学します。 当時、モスクワ大学とセントピータースバーグ(St. Petersburg) の大学には3%の入学枠がユダヤ人に割り当てられていました。ヴィゴツキは相当優秀な学業をおさめていたことが伺われます。次回に報告しますが、その後の研究活動は約10年ほどと非常に短いことです。そして37歳という若さで生涯を閉じます。
人間の発達を文化的、対人的、個人的というレベルにかかわるとします。とりわけ重視したのは、文化的レベルと対人的レベルです。それはもともと人間の人格形成にかかわる経験は社会的なものだと考えたからです。
子供達は、蓄積されきた智恵や勝ち、技術的知識を自身の養育者との相互作用を介して吸収し、それらの道具を用いて自分がこの世界でどう振る舞うかが効果的かを学んでいくとします。こうした文化的な道具を子供達が身を以て経験し内面化できるようになるのも、あくまで社会的相互作用を介してであると主張するのです。個人的レベルで営む思考や推論といった能力でさえもが、私たちの内的認知能力を育む発達過程での社会的活動に由来しています。
ヴィゴツキの理論は、学ぶ者と教える者双方のアプローチに影響を与えます。教師は子供達の注意の幅や集中力、学習技能を改善しながら、子どもの能力を伸ばすということに大きな示唆を与えます。そして20世紀後半になり教育界に顕著な影響を与えます。それは子供中心からカリキュラムの重視への方向転換、集団学習のより積極的な活用ということにあります。
1917年10月に始まったロシア革命のあと、ヴィゴツキはソヴィエト連邦の初代指導者となったレーニン(Vladimir Lenin)が率いたボルシェヴィキ(Bolshevik)政権に共鳴していきます。ツアーリ (Tsardom)の圧政に耐えられなかったのでしょう。