択捉島の中部に単冠湾(ヒトカップワン)があります。太平洋戦争では忘れることのできないところです。1941年11月20日、日本海軍によりあらゆる船の島への入出港が禁じられます。厳しい情報統制下の単冠湾に南雲忠一中将率いる航空母艦6隻を含む軍艦30隻の機動部隊が集結します。この島外との徹底した情報の遮断は太平洋戦争が開戦した12月8日まで続けられたとあります。そして、大本営より機動部隊に対して真珠湾攻撃の「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文が発信され、部隊は11月26日にハワイへ向け単冠湾を出港していきます。
ワシントンDCでは、日本とアメリカとの戦争回避のための条件を日本に発した文書、いわゆる「」ハル・ノート(Hull Note) を巡り、外交交渉が続けられていました。日本側は野村吉三郎駐米大使、来栖三郎特命大使、アメリカ側はコーデル・ハル (Cordell Hull) 国務長官でした。
1907年の第2回ハーグ会議で「開戦に関する条約」が作成され、締約国は最後通牒の形式なくして相互間に戦争を開始してはならないと定められました。山本五十六連合艦隊司令長官は、真珠湾攻撃の前にアメリカに対して外務省が交渉の打ち切りと大使らの引き揚げといった最後通牒をしたかどうかを懸念したはずです。「不意打ち」を避けようとしたのです。宣戦布告の前に最後通牒をすることが外交の礼儀でありました。
戦争とはその始まりも終わりもスパイなどによる情報合戦です。1993年に択捉島を題材にした著作物に基づくテレビ番組「エトロフ遥かなり」という番組がNHKで四回わたり放映されました。大戦前夜、日本海軍の動向を探るため、憲兵に追われながらも単身択捉島に潜入した日系アメリカ人スパイの賢一郎と島で暮らす娘ゆきが恋に落ちます。彼女は賢一郎の正体を知らないのです。そして彼らを取り巻く、様々な思いを抱く人々。開戦前の緊張が伝わりました。演じていたのは沢口靖子や阿部寛です。
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