ヨハネス・ポンペ・ファン・メールデルフォールト(Johannes Pompe van Meerdervoort) は、オランダ海軍の二等軍医です。ユトレヒト (Utrecht)大学で医学を学びます。幕末に来日し、オランダ医学を伝えた人です。そのとき28歳でした。松本良順ら弟子達12名に最初の医学講義を行なったのが1857年11月12日と記録されています。場所は長崎奉行所西役所医学伝習所。やがて伝習所は長崎大学医学部へと発展していきます。伝習所では治療もしていたようです。患者の身分にかかわらず診療を行ったことでも知られています。そのためでしょうか、その後日本人からは親しみを込めて「ポンペ先生」(Dr. Pompe!)と呼ばれていたといわれます。
ポンペは母校のユトレヒト大学医学部では所定の課程を経たのではなく、短期の植民地医官養成過程とでもいうべきコースを受けたといわれます。ただ篤実で熱心な学生であったようで、残したノートには講義の内容を綿密に記載していたといわれます。物理学、解剖学、組織学、生理学総論及び各論、病理学総論及び病理治療学、調剤学、内科学及び外科学、眼科学など広範囲に教えたというのですから摩訶不思議な医師です。
近代医学史関係資料「医学は長崎から」によりますと、1849年に長崎のオランダ人医師オットー・モーニケ (Otto Gottlieb Mohnike) や佐賀藩の医師であった楢林宗健らが長崎で始めて牛痘種痘を始めます。ですがポンペは種痘法が日本に紹介されて10年ほど経過しているにも拘わらず,依然として長崎では多くの人々が天然痘で苦しんでいることに驚きます。行政当局に対して強制的に接種をしなければならないと説いたのがポンペです。
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