ウィスコンシン大学時代、奨学金も底をつき、蓄えが少なくなってきたのでいろいろなアルバイトをして糊口を凌ぐことになりました。
そんな中で最も長く働いたのが大学内にある院生の家族と研究者の世帯アパートの管理事務所でした。夏は芝刈りや植え込みの手入れ、冬はアパートの掃除や除雪作業でした。一緒に働くのは大学の職員です。大学の職員は教授からメインテナンス作業をするこうした人々まで様々です。会話の端々から分かったことは、アパートなどの管理業務にあたる彼ら白人は高卒であることでした。
会話といっても実に他愛のない内容です。卑猥な言葉、汚いスラング、人種差別語が混ざる全く歯牙にかけない話題ばかりです。海外から来る院生に対しての羨望や引け目などもあるようでした。
さる10月26日に「常民」という話題を掲載しました。知識人とか文化人とは対極的な生活様式をもつのが「常民」。一般に庶民、民衆という意味です。文化の基底を担う人々の意を込めて柳田国男は「常民」を用いたといわれます。「常民」とは普通の人、エリートでない人という意味です。
今や大卒といっても安泰な地位を維持できるわけではありません。レイオフが待っています。今度の大統領選挙の主人公はこうした「労働者」とか大卒の経歴がありながら仕事を失い木枯らしにさらされるアメリカの多くの「常民」です。「常民」が大富豪を大統領に選ぶところにアメリカという国の不可思議な一面があります。
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