「吉原裏同心」という佐伯泰英のシリーズものがあります。この小説の舞台は江戸の葦の原ー吉原です。吉原に暮らす人々の欲望と夢、汚れさと純真さ、嫉妬と愛憎、生と死などが描かれています。
天下御免の色里、吉原の頂点にいるのが花魁です。一見華やかな太夫、花魁の世界。その背景には、売られ買われる女性がいます。それを取り巻く大勢の人が吉原で暮らします。例えば、吉原の秩序を保つ江戸町奉行の役人、廓内での騒ぎをまとめる頭取や小頭、さらに医者、仕出し屋、読売屋、三助、職人、商人、船頭、幇間と呼ばれる太鼓持ち、芸者がいて吉原という集団を形成しています。
幕府公認のこの色里には廓内の決まりがあります。所司代の元にある与力という下級役人の下で警護を司るのが用心棒の裏同心です。裏同心らの働きによって自治や治安が保たれるという不思議な世界です。ヤクザが秩序を保っているといえばわかりやすいです。
筆者がこの時代小説に惹かれるのは、吉原という共同体に受け継がれる行動のパタンやその背後にある価値観という文化です。吉原という「場」を色街とか色里という固定観念でとらえると、花魁がなぜ客をもてなすために古典や書道、和歌、誹諧、茶道、箏、三味線などの芸事に修行したのかが分からなくなります。そしてなぜ裏同心とか遊女に読み書きを教える者が存在が吉原に必要だったのかは、「おもてなしの文化」とか秩序とか決まりを維持するためであることが首肯できます。
江戸文化というと一見、茫漠としていますが、それは人々が手を加えて形成してきた衣食住をはじめ、歌舞音曲、作法、詩歌など生活様式と内容という総体のこと、それが江戸文化といえます。この総体を意識すると、吉原に暮らす人々の日常性のなかに少々大袈裟ですが、なにか原理的な意味を見つけられるような気がしてきます。
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