両替商、今津屋吉右衛門のお内儀がお艶です。あまり体が丈夫でなく子もできません。吉右衛門やおこんは常日頃心配しています。番頭の由蔵には、今津屋の跡継ぎがないことが気掛かりです。
体調が思わしくなり、お艶は大山詣を決意し、夫や磐音、おこんらと出掛けるのです。雨降り山といわれる大山、古くから相模国はもとより関東総鎮護の霊山として崇敬を集めてきた1,250mの山です。そこに阿夫利神社があります。古来より雨乞い信仰の中心地としても広く親しまれてきた神社です。
磐音は、激しい雨をついて厳しい岩場をお艶を背負って不動堂まで登っていきます。お艶は念願の大山詣を果たし、磐音にいうのです。
「坂崎さま、私は生涯坂崎さまの背の温もりを忘れません。」
その帰り、伊勢原宿の子安村でお艶は病状が進み、もはや江戸に戻ることが難しくなります。お艶の死期が近いことを吉右衛門は知ります。堪らずむせび泣くおこんに吉右衛門はいいます。
「おこん、人はだれも死ぬ。それはこの世に生を受けたときからの理です。なんの哀しいことがありましょうか。そう考えながらお艶のかたわらで、ゆったりした時を過ごしてみようかと考えました。」
死と向き合うのは人の尊厳に満ちあふれる姿といえましょう。背けず、真っ直ぐに生と死を受けとめる姿に神々しさすら感じます。
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