ウィスコンシン大学での苦節の6年あまり、図書館の専門職である司書(Librarian)にひとかたならぬお世話になった。その専門性には舌を巻いた事を前々回記した。
私は北海道大学と立教大学で学び、その後は国立特殊教育総合研究所と兵庫教育大学で仕事をした。それまで図書館の世話になった思い出は全くない。利用の仕方を知らなかったというべきか。振り返ると日米の大学の違いは、大袈裟にいえば図書館の置かれている地位と司書の専門性、そして図書館学の位置づけにあるのではないかと考える。
我が国とアメリカの司書養成の仕組みや内容を調べると、そこに大きな違いがあることがわかる。まず、我が国では司書となる資格は図書館法に規定する公共図書館の専門職員となるためとなっている。しかし、公共図書館の大部分では、司書の資格を取得した者を専門職として採用する人事制度がない。事務職員としての採用制度だからである。
司書資格の取得方法は二つある。大学の正規の教育課程の一部として設置されている司書課程と、夏季に大学で集中して行われる司書講習がある。大学の司書課程はそのための全国統一的なカリキュラムが、図書館法の制定以来、現在に至るまで作成されていない。専門性に必要な科目の単位数が少なく、司書講習に相当する科目の単位の認定を受けて、大学を卒業すれば司書資格を取得できてしまう。
次に司書講習である。本来現職の図書館職員向けのものとされているため単位認定が甘く、「暇と講習料さえあれば取得できる資格」といわれるほど講習内容が貧相でいい加減、おざなりな講習会といわれる。
我が国の司書に関する根本的な課題とは。それは司書の専門性と役割を重視しない風土、そして図書館学(Library Science)の未熟さである。このことをアメリカの大学で苦労した経験から学んだ。