このところ二文字や四文字熟語が爛漫と花咲くようにニュースに登場しています。その代表は、「説明責任」(accountability)でしょう。Accountabilityという語が英語になったのは13世紀といわれます。大雑把にいって、「行動や結果、製品、決定、政策などの責任について承認をうける必要のこと」とされます。利害関係者に自分の活動や権限行使、内容、結果等を報告することです。しかし、Accountabilityの考えは、政治や交易においてエジプト(Egypt)、ギリシャ(Greece)やローマ(Rome)、バビロン(Babylon)の時代に存在したことがわかっています。
東京都知事というのは、政策の立案から予算の執行まで相当な権限を有する首長のようです。このような立場の人間が、「政治資金」で「クレヨンしんちゃん」の漫画を買ったとか、「回転寿司」で食べたとか、別荘や美術館に公用車ででかけていたなどが報道されています。何度も高額な海外出張をしていることも庶民の感覚からかけ離れているといわれます
「まだまだあるのでは、、」と多くの人々が思っています。こうした都民の「疑心暗鬼」とは、疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれることです。まさに、「いもしない暗闇くらやみの亡霊が目に浮かんで、次々と疑わしく恐ろしくなる様」です。
さてこうした疑心暗鬼にとらわれている民に対して、知事の態度はどうかです。「粉骨砕身、都政の運営に努める」というのですから、これはもう「厚顔無恥」、「鉄面皮」といわれても仕方ないでしょう。言葉や態度などが丁寧すぎて、かえって不遜である「慇懃無礼」という熟語もぴたりとあてはまります。語れば語るほど嫌味でがつきまとい、誠意が感じられなくなります。
「骨を粉にし、身を砕くほど努力する」という言葉はきわめて礼儀正しく丁寧ですが実は尊大で、追求をかわして逃げ延びようとする姿勢が見え見えです。別荘を売る、給料を減額する、美術品や流用金を慈善団体に寄付するなどという言葉は、空疎な響きがあります。
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