リベラルアーツ教育  その8 「セミナリオとコレジヨ」

2b9869137170bb7e76d084431fd981f4 s2-19-seminario imgedb72b1dzik2zj私は、宗教学や神学について全くの素人です。一介の信徒です。ですがリベラルアーツ教育のルーツを調べていくと神学とか哲学という分野にたどりつきます。特に中世のヨーロッパにおける学問では、どのような人を育てそのために何を学ばせるかが教育機関の使命だったようです。その中心は聖職者の養成にありました。それを担っていたのがセミナリヨ(ポルトガル語: seminario、英語: seminary)とコレジヨ(ポルトガル語: seminario、英語: college) です。

日本にキリスト教がもたらされたのは1549年。イエズス会が派遣したザビエル (Francisco de Xavier) らによって布教が始まったとされます。1579年に同じイエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ (Alessandro Valignano) 神父は、日本における布教の成否は、日本人の司祭や修道士を育成することにかかっていると考えます。こうして作られた教育機関がセミナリヨ(初等教育)とコレジオ(高等教育)です。

イエズス会は滋賀の安土城や南島原の日野江城にセミナリオを造ります。切支丹大名だった4万石の城主、有馬晴信は日野江城のセミナリオの建設を奨励します。コレジヨは大分県臼杵市に最初に造られます。コレジヨは、当時は修道院とか修練院を意味する ノビシャド( ポルトガル語: noviciado )と呼ばれていました。

こうして豊後国である府内に開設されたコレジオでは、一般教養の教育と聖職者育成の専門教育の両方が行われ、キリシタンに改宗した士族や布教を志す者に対して、キリスト教、ラテン語、音楽、数学などの講義が行われます。有馬晴信とともに切支丹大名であった大友宗麟はノビシャドの開設に協力します。コレジオの教育は、日本におけるリベラルアーツ教育の先駆けではないかというの私の考えです。
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