この言葉は、オーストリアの精神医であったヴィクトール・フランクル (Viktor Frankl) の著作からです。フランクルは第二次大戦中、ユダヤ人強制収容所を転々とし、生き残った一人です。我が国では、強制収容所での体験をもとに著した「夜と霧」’Nacht und Nebel) がよく知られています。世界中で翻訳された名作です。今回は、フランクルの「それでも人生にイエス (Ja) と言おう」(trotzdem Ja zum Leben Sagen) という言葉です。
ローマカトリック教会などのミサ(聖体主儀)やプロテスタント教会の聖餐式で唱えられる文句に「主よ憐れんでください」(Kyrie eleison) があります。英語では「Lord, have mercy」と唱えられます。フランクルの著作ではたびたび人生の意味や意義が強調されます。つらい状況に追い込まれ投げ入れられても逃げ出さず、私たちのために命を引き受けて生きることができるというのです。「主よ憐れんでください」と、人知では計り知れない恵みを乞うのです。これが信仰です。
第二次大戦中のユダヤ人収容所では、生きることより、死ぬ方がずっと楽であるといわれていました。でも収容所にいた人たちには自分たちで歌を作り、歌うものもいました。「それでも人生にイエスと言おう」という歌です。明日、何が起こるか分かりません。台風、地震、津波、放射能、病や老い。私達には、苦しみや悲しみが山ほどあります。それでも私達は与えられた人生に「イエス」と言います。与えられた人生を生きていきます。
フランクルが強制収容所にいたとき、連合軍や近くにやってきて、自分たちは解放されるという密かな噂が流れます。それを信じて一日一日生きていた収容者は、いつまでたっても解放されないことを知ると、やがて次々に死んでいったということです。
もう一つ、フランクルが収容所から解放されたあと、勤めていた病院での話です。末期ガンの患者を回診したとき、医師が看護師にモルヒネを注射するようにと指示します。そのとき、患者はフランクルに「宿直の医師や看護師を夜中に起こさないですむので、注射を依頼した」といいます。死の間際でも他人を気遣うさりげない行為にフランクルは感じ入るのです。また、過酷な収容所に入れられた人々の中にも、自分の一かけらのパンを仲間に与えたり、自ら他人の身代わりとなった神父もいたことも記すのです。
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