この演目にでてくる倅は、放蕩息子までとはいかないが、かなりのぼんくら。放蕩息子といえば、新約聖書のルカによる福音書15章11節に登場する「The Parable of the Lost Son」と決まっている。
親父が倅に「もうちょっと落ち着いて考えろ、、!」と説教している。そして「芝居の初日がいつ開くか見てきてくれ」と頼む。帰ってきた息子が明日だと言う。そこで楽しみにして出かけてみると「近日開演」の札が立っている。
親父 「馬鹿野郎、近日てえのは近いうちに開けるという意味だ」
倅 「だっておとっつぁん、今日が一番近い日だから近日だ」
なにしろ普段から、気を利かせるとか、先を読むということをまるで知らない。「おとっつぁんがきせるに煙草を詰めたら煙草盆を持ってくるとか、えへんと言えば痰壺を持ってくるとか、鼻水がでそうになったら紙を持ってくるとか、それくらいのことをしてみろ」、「そのくせ叱るとふくれっ面ですぐどっかへ行っちまいやがって」、とガミガミ言っている。そのうちおやじ、トイレに行きたくなったので、紙を持ってこいと言いつけると、出したのは便箋と封筒。
また小言を言うと、倅はプイといなくなってしまった。しばらくして医者の錆田先生を連れて戻ってきたから、わけを聞くと「お宅の息子さんが『おやじの容態が急に変わったので、あと何分ももつまいから、早く来てくれ』と言うから、取りあえずきてみた」「えっ? あたしは何分ももちませんか?」「いやいや、一応お脈を拝見」というので、診ても倅が言うほど悪くないから、医者は首をかしげる。
それを見ていた息子、急いで葬儀社へ駆けつけ、ついでに坊さんの方へも手をまわす。長屋の連中も、大家が死んだと聞きつけて、「あの馬鹿息子が早桶担いで帰ってきたというから間違いないだろう、そうなると悔やみに行かなくっちゃ」と相談する。説教の薬が効きすぎたようだ。
そこで口のうまい男が口上を宣もう。「このたびは何とも申し上げようがございません。長屋一同も、生前ひとかたならないお世話になりまして、あんないい大家さんが亡くなるなんて、、、」……言いかけてヒョイと見上げると、ホトケが閻魔のような顔で、煙草をふかしながらにらんでいる。
口のうまい男 「へ、こんちは、さよならっ」
大家 「いい加減にしろ。おまえさん方まで、ウチの馬鹿野郎と一緒になって!」
大家 「あたしの悔やみに来るとは、どういう料簡だっ!」
口のうまい男 「へえ、表に白黒の花輪、葬儀屋がウロついていて」
口のうまい男 「忌中札まで出てましたもんで」
大家「え、そこまで手がまわって……馬鹿野郎、表に忌中札まで出しゃがって」
大家 「へへ、長屋の奴らもあんまし利口じゃねえや」
大家 「よく見ろい、忌中のそばに近日と書いてあらァ」