泥棒といえば義賊といわれた石川五右衛門やネズミ小僧次郎吉、そしてアルセーヌ・ルパンが知られている。実在といわれた五右衛門や次郎吉は浄瑠璃や落語にも登場する。こうした泥棒を扱った作品では、それを書いた作者の想像力と創作意欲をかき立てたようで、古今数多くのフィクションが生み出された。
五右衛門の手下だったという男二人。親分が京の市中を引き回され釜煎りにされ、自分たちも捕まって天ぷらにされるのが心配になった。そこで、親分の供養と将来の備えのために、世の中にある釜という釜をかたぱっしから盗み出し、ぶち壊してしまおうという計画を立てた。さしあたり、大釜を使っているのは豆腐屋。そこを狙おうと相談がまとまる。
やがて豆腐屋ばかりに押し入り、金も取らずに大釜だけを持ち去る盗賊が世間の評判になる。豆腐業界は大騒ぎとなる。何しろ新しい釜を仕入れてもすぐかっさらわれるのだ。
ある小さな豆腐屋。爺さんと婆さんの二人で、ごくささやかに商売をしていた。この店でも釜を盗まれた。爺さんは頭を悩ませ、何か盗難予防の工夫はないかと婆さんと相談した結果、爺さんが釜の中に入り、酒を飲みながら寝ずの晩をすることになった。ところが、いい心持ちになり過ぎてすぐに釜の中で高いびき。
そこに現れたのが例の二人組み。この家では先だっても仕事をしたが、またいい釜が入ったというので、喜んでたちまち戸をひっぱずし、釜を縄で縛って、棒を通してエッコラサ。「ばかに重いな」「きっと豆がいっぺえへえってるんだ」せっせと担ぎ出す。
釜の中の爺さんが目を覚まして「婆さん、寝ちゃあいけないよ」とつぶやく。泥棒達は変な声が聞こえるなと担ぎ続ける。また釜の中から「ほい、泥棒、入っちゃいけねえ」泥棒、さすがに気味悪くなって、早く帰ろうと急ぎ足になる。釜が大揺れになって、爺さんはびっくりし「婆さん、婆さんや、地震か?」
その声に二人は我慢しきれず、釜を下ろして蓋を開けると、人がヌッと顔を出したからたまらない。「ウワァー」と、おっぽり出して泥棒は一目散。一方、爺さん、まだ本当には目が覚めず、相変わらず「婆さん、婆さん、地震だ、起きろ!」
そのうちに釜の中に冷たい風がスーッ。やっと目を開けて上を向くと、空はすっかり晴れて満点の星。「ほい、しまった。今夜は家を盗まれた」というサゲとなる。