以前、「佐々木政談」という演目を紹介した。お白洲遊びをしている子供達の頓智に感心した南町奉行佐々木信濃守と賢しいガキとのやりとである。このガキはやがて近習に取り立てたられるという目出度い噺であった。白洲とは江戸時代の法廷。下段に「砂利敷」が設けられ、原告や被告が座る。砂利が白かったかどうかは不明ではある。
今回紹介するのは「真田小僧」という演目である。こましゃくれた子供が父親から小遣いをせびるためにあの手この手のゴマすり、それでもダメだと分るとおっかさんが父親の留守に男を家に入れたと浮気を匂わせる。その男は白い服をきてサングラスを掛け白い杖をついているというのだ。父親はすっかり欺され、小遣いを渡す。それを受け取ると、「その人はただの按摩さんでした」と言って逃げ出す。
湯から戻ってきた女房に父親が息子に銭を巻き上げられた話をする。知恵のあるのは結構だが、どうせなら真田昌幸の息子、真田幸村のように知恵で父親の絶体絶命のピンチを救うような息子になって欲しい、といって真田六文銭の旗印の由来を語る。
最初の銭を使い果たして玄関に潜んでいた子供は父親の話を一度で覚えて披露する。六文銭とはどういうものか、と父親に尋ねる。父親は銭を6枚並べて説明し始めるが、息子はその銭をかっさらって家から飛び出す。その子に向かって父親が「何に使うのか?」と聞くと息子は「焼き芋を買うんだ」と答える。そこで父親は「あいつも薩摩に落ちた、」というサゲとなる。