落語に「竹の水仙」というのがある。「三井の大黒」、「ねずみ」とともに、伝説的な彫刻職人技を真剣に、また可笑しく取り上げている。天下の宮大工として名高い左甚五郎利勝。左利きであったために左という姓を名乗ったという説もある。もう一つの説は、彫り物を彫らせたら右に出るものがいないというので、それなら左にしようと名前を与えたという説である。日光東照宮の眠り猫を彫ったといわれる。宮大工の名声をほしいままにした人物である。
「竹の水仙」のあらすじである。京へ下る途中、左甚五郎は名前を隠して、三島宿の旅籠に寄る。旅籠の主は佐平。ところが、朝から酒を飲んで管をまいているだけで、宿代も払おうとしない。たまりかねた佐平に追い立てを食うが、甚五郎、平然としたもので、ある日中庭から手頃な竹を一本切ってくると、それから自分の部屋に籠もってなにやら作り始める。
心配した佐平が様子を見にいくと、なんと、見事な竹造りの水仙が仕上がっていた。たまげた佐平に、甚五郎、「この水仙は昼三度夜三度、水を替えると翌朝不思議があらわれる」「売るときは町人なら五十両、侍なら百両。びた一文負けてはならない」と託ける。
これはただ者ではないと、佐平が感嘆していると、なんとその翌朝、水仙の蕾が開き、たちまち見事な花を咲かせたから、一同仰天。そこに通った殿様の目にとまり、三太夫にこの水仙を買い求めるよう指示する。だが三太夫、「たかが水仙が百両とは無礼!たわけ!」といって佐平を面罵する。戻ってきた三太夫に殿は、「竹の水仙を買えないようなら切腹を申しつける!」と言い渡す。それからどたばた劇が始まる。
もう一席。「ねずみ」も彫り物師の噺である。奥州仙台の宿場町。左甚五郎が、宿引きの子供に誘われて「ねずみ屋」という鄙びた宿に泊まる。そこは腰の立たないような宇兵衛と十二歳の子供の二人だけでやっているという貧しい宿だった。
向かいには虎屋という旅籠がある。かつては宇兵衛のものだったが、追い出され今の物置小屋を宿としねずみ屋としている。物置に棲んでいたネズミにちなんだという。これを聞いた左甚五郎は、木片でねずみを彫り上げ、繁盛を願ってそれを店先に置いて帰っていった。するとなんとその木彫りネズミがまるで本物のネズミのように自分で動き回りはじめる。
この噂が広まるやいなや、ねずみ屋に泊まればご利益があるとして部屋に収まり切らないほどの客が入る。それを苦々しく眺めていた虎屋は別の職人に虎の木彫りを彫らせる。そしてねずみと虎の彫り物対決となる。
工匠の代名詞、左甚五郎の一席である。