越後の小さな松山村に、18年間毎日両親の墓参りを欠かさないという百姓がいた。名前は正助。それがお上に聞こえ、褒美を貰うことになる。無欲な正助は、地頭が申し出る褒美に全く関心を示さない。「金を貰えばそれを使って働かなくなる」とか、「土地をもらっても小作人を雇わなければならない」、「新しい服をもらっても着る機会が無い」、、といって断る。地頭も正助の真面目さに少々困惑する。そして正助に云う。「それでは、お前が欲しいものを必ずかなえてやろう」
正助はそこで「18年前に死んだ父親に、夢でもいいからもう一度だけ会いたい」という。困った地頭、思案して「父親は何歳で無くなったのか」ときく。45歳であることがわかる。そして正助も45歳であった。二人は瓜二つの顔をしていたことを聞き出す。しめた、とばかり地頭は家来に鏡を持ってこさせる。松山村には鏡というものがなかった。
正助は鏡を見て「おとっつあん、、、」と感涙にむせぶ。まだ鏡というものを知らない。それを大事に持ち帰り、納屋の古葛籠中にしまっておく。それからは、毎日納屋に通い、とっつあんに会うのである。正助が蔵に出入りするのを不思議がった女房のお光が、正助のいない間、納屋に入って鏡を見つける。それを見て驚く。「何だぁ、この女は?」写った自分を夫の愛人と勘違いし、お光は嫉妬に狂って泣きだす。そして帰ってきた正助とつかみ合いの喧嘩となる。
そこに通りかかった隣村の尼。二人の話に割って入り、二人の言い分をきいてから、「その女に会ってみるべ、、」ということになる。鏡をみると二人にいう。「正さん、お光さん、喧嘩しちゃいかん、お前さんらが喧嘩するんで、この女きまりが悪いって尼さんになって詫びている、、、、」
この演目は「松山鏡」。文楽や志ん生名人の話芸は聞き応えがある。