ウィスコンシンで会った人々 その56 祭噺

現在の聖路加国際病院近くにある隅田川の対岸は、高層マンションで囲まれている。この一角に佃住吉神社がある。江戸時代には、汐入や千住の渡しとともに隅田川最後の渡し舟があったところといわれる。江戸に摂津国から移住した漁師たちが、石川島近くの砂州に築島して定住することとなり、この島を故郷である佃村にちなんで「佃島」と命名したとある。住吉神社の夏の祭礼で賑わうのが「佃祭」であった。その祭礼では雑魚を煮詰めたものを供えていた。これが佃煮である。保存性のよさと値段の安さから江戸庶民に普及した。

江戸時代から伝わる年中行事の祭や花火は今が最盛期。江戸の祭りといえば、神田明神で行われる神田祭、官幣大社の日枝神社で行われる山王祭、そして富岡八幡宮で行われる深川祭である。落語には祭りをめぐる笑い噺が結構ある。今回は東の「佃祭」と西の「祇園会 」を取り上げる。

昔、神田は岩本町に於玉ヶ池というのがあって、北辰一刀流の道場「玄武館」があったらしい。このあたりで小間物問屋を営んでいたのが次郎兵衛。佃祭に出掛け、最後の渡し舟で帰ろうとする。満員の舟に乗ろうとしたとき、一人の女に引き留められ渡しに乗りそびれる。女は詫びながら実は三年前、奉公先の金を紛失してしまい、本所一ツ目の橋から身を投げるところを次郎兵衛に助けらたと告白する。次郎兵衛は女のことを思い出し、仕方なく船頭の辰五郎と所帯をもつこの女のところに行くことになる。

辰五郎が帰ってくると、外が騒がしい。渡し舟が重みで沈没したという。一人も助かったものがなく、川岸は死体の山だという。沈んだ渡し舟に次郎兵衛が乗っていたらしいというので、次郎兵衛の住む長屋は大騒ぎ。忌中という札をだし、棺桶を用意したり、弔問客に対応したりでてんやわんや。やがて夜明けに辰五郎に送られた次郎兵衛が、そんな騒ぎとも知らずに長屋に帰ってくる。読経の声がきこえる。はておかしいと家をのぞくと、驚いたのは長屋の面々。次郎兵衛を幽霊だと勘違いして大騒ぎ。これを聞いた長屋の月番の一人与太郎、自分も誰かを助けようと身投げを探して永代橋へでかける。

東山区八坂神社の祭礼で知られるのが祇園祭である。祇園祭は数々の祭りでも豪華絢爛さで知られる京都の三大祭のひとつ。その他上賀茂神社と下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭がある。「祇園会 」は江戸からの一見さんと京男との奇妙な会話がお国自慢に発展し、はては大喧嘩になるという噺である。

江戸っ子の八五郎、祇園祭の時期に京にやってくる。話の種にと叔父の案内で祇園の揚屋の二階を借り、酒を飲みながら祭見物をすることになる。ところが、当日になって叔父が急に来れなくなり、代わりに叔父の友達だという源兵衛がやって来る。これがそもそもの間違いとなる。

京者の源兵衛はやたらとお国自慢をする男で、何かにつけて「京は王城の地」とうるさいのなんの。「酒は伏見、人は京。なんて言うたかて京は『王城の地』どすからな。江戸とは違いますわ。」ちょっとカチンときたものの、八五郎ここで怒っては江戸っ子の評判を下げるので我慢する。

それに気をよくしたのか、源兵衛とうとう禁句を口にしてしまう。
「江戸ッ子なんか、所詮は東夷の田舎者、武蔵野の国の「むさい者」どすな。」

ここで遂に八五郎の堪忍袋の緒が切れる。
「いくら古いか知らないが、こんな抹香臭い所はもうたくさんだ!!」

そこからは土地柄から食べ物、果ては祭囃子まで飛び出す壮絶なお国自慢が始まる。
「御所の紫宸殿の砂利を掴んでみなはれ、”おこり”が落ちるちぃまんにゃ。」( おこりとは悪性の流行病)
「それがどうした!? こっちだって江戸城の砂利を掴んでみろい、、、」
「どうなります?」
「首が落ちらぁ!」

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