ユタ州(Utah)のナンバープレートには、4つのフレーズが記名されているのがあります。「世界で最も素晴らしい雪」(Greatest Snow on Earth)、「高められる命のアーチ」(Life Elevated Arches)、「神に信頼を」(In God We Trust)、そして「ハイウエイよさらば」(Off-Highway Vehicle)です。塩と雪の白さで観光客が魅了される州といえましょう。
この地域には紀元前1万年前に人が住んでいました。プエブロ族(Pueblo)が住みつき、ショショーネ族(Shoshone)、ユート族(Ute)、パイユート族(Paiute)などの集団が続きます。18世紀後半にはスペインの宣教師がユタを訪れます。1821年にメキシコに返還されます。アメリカ人開拓者ジム・ブリッジャー(Jim Bridger)は、1824年にグレート・ソルトレイク(Great Salt Lake)を見た最初の白人といわれます。
この地域の最初の定住者はモルモン教徒(Mormons)で、初代教祖ジョセフ・スミス・ジュニア(Joseph Smith, Jr.)がイリノイ州で殺されると、1847年に教徒らはブリガム・ヤング(Brigham Young)に率いられてグレートソルト・レイクの谷に導かれます。この教会は末日聖徒イエスキリスト教会(Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)と呼ばれます。
人口は事実上ほとんどがヨーロッパ人で、主に北欧人(northern European)です。アジア人、ヒスパニック(Hispanics)、アメリカ先住民、アフリカ系アメリカ人も少数ですが住んでいます。さらに20世紀後半には、ハワイ人や他の太平洋島民の数が増加しました。彼らの多くはモルモン教に改宗し、ソルトレイク・シティ(Salt Lake City)に移住しました。アメリカ先住民を除いて、少数民族人口のほぼ5分の4が、ソルトレーク、デイビス(Davis)、ウェーバー(Weber)のワサッチ(Wasatch)3郡に住んでいます。
サンフアン(San Juan)郡の人口はアメリカ先住民の約半分であり、州のアメリカ先住民総人口のほぼ3分の1が含まれています。これらは主にナバホ族(Navajo)で、主にナバホ居留地のフォーコーナーズ(Four Corners)地域に住んでいます。ユート族はユインタ(Uintah)とオーレイ(Ouray)居留地に住んでいます。南パイユート族の多くは、部族の中でも最も経済的に貧しく、ユタ州南部のいくつかの小さな保留地に住んでいます。
ヒスパニック系の人々は州最大の少数派グループを構成しています。このグループの多くは農業、鉱業、製造業、サービス業の低所得労働者であり、教育と文化変容の問題にますます注目が集まっています。ユタ州ではモルモン教徒が宗教信者の大多数を占めていますが、ローマカトリック教徒も州全体で見られます。バプテスト、ルーテル派、その他のプロテスタント宗派、および非キリスト教の信者も居住しています。
メキシコ戦争後にアメリカが獲得したこの地域は、1850年にユタ準州(Utah Territory)として組織され、1868年には現在の州の面積に縮小されます。1857年から1858年にかけて、モルモン教徒と連邦政府との間でユタ戦争(Utah War)と呼ばれる対立が起こります。ユタ州で発生したルモン教徒とアメリカ陸軍との内乱のことです。モルモン教徒が一夫多妻制(polygamy)を放棄するまで州昇格は認められませんでした。
1847年に始まった初期のモルモン教徒の入植者は、農業、手工業、小規模工業に基づいた自給自足の経済を営みました。1860年代後半に他の多数の入植者が到着すると、この組合経済は、モルモン教の教義に反する鉱石採掘と貿易に専念する非モルモン教徒の活動と競合していきます。州発足後、州の輸出可能な資源は、外部の企業によってますます搾取されるようになります。州の農業は牧畜牛、羊毛、そして牧草(alfalfa)や甜菜などの商品作物に向けられるようになります。一夫多妻制を放棄したユタ州は、1896年に45番目の州として連邦に加盟します。20世紀初頭以降、モルモン教会は公式には政治的中立を保っていますが、経済的な影響力が注目されています。
1921年と1930年代の経済不況は深刻でしたが、連邦政府のプログラムとモルモン教会の福祉プログラムのおかげで州は回復します。第二次世界大戦中、いくつかの防衛施設や空軍基地が建設され、ユタ州南東部ではウラン(uranium)ブームが起こりました。1950年代後半、ミサイル用のロケットエンジンを製造するためにワサッチ(Wasatch)地帯に沿っていくつかの大きな工場が建設されました。ユタ州は石炭と石油の埋蔵量が多く、世界最大のベリリウム(beryllium)の生産地でもあります。主要産業は農業と観光業です。
州の経済は非常に多様化しています。農業および鉱業部門は、軽工業および重工業、金融、運輸、観光によって補完されてきました。ソルトレイク・シティは地域の金融と貿易の中心地であり、多くの大企業がオフィスを構えています。現在でもモルモン教徒が全州人口の約60%を占めているといわれます。敬けんで穏やかなモルモンの人々が育んできた風土のせいか、全米でも治安も良いことで知られています。ユタ州立大学(Utah State University)のあるローガン市(Logan)は小規模都市を含めて全米一位の治安のよいところのようです。
空からソルトレイク・シティに近づきますと、地上は真っ白。その名の通り塩の大地が広がります。しかし、州の中央部には海抜三千メートルの山脈があり、北海道のような粉雪で深く、世界的に名高いスキーリゾートとなっています。ユタ州の西部は起伏が続いています。ですが大部分が不毛の砂漠となっています。岩だらけの風景の中にひときわ目立つのがモニュメント・バレー(Monument Valley)です。しばしば西部劇の映画などで登場しました。
ソルトレイク・シティでは、モルモン教会合唱団の演奏を聴くのがお勧めです。この合唱団は「Mormon Tabernacle Choir」といい、神の幕屋教会合唱団と呼ばれます。世界一流オーケストラとの数々の共演や世界各地での演奏会で知られています。リハーサルは毎週木曜日午後8時から開かれ、その後に聴衆からの質問のやり取りがあります。私も一度このリハーサルの日時を確認してから幕屋教会に出掛けました。ユタ州立大学(Utah State University)を訪ねたついでのことです。
(2024年5月10日)