デラウェア州(Delaware)の紹介です。合衆国の建国に関わった13植民地のうちで最初に憲法を批准したのがデラウェア州です。1787年のことです。ナンバープレートには「First State」とか「Centennial State」と誇るように記されています。デラウェア族が住んでいたことからこの州名がつけられます。
デラウェアですが東はニュージャージー州、北はペンシルバニア州、西はメリーランド州と接しています。東海岸のチェサピーク湾(Chesapeake Bay)とデラウェア湾に面し、ロードアイランド州(Rhode Island)に次いで2番目に面積が小さい州です。州都はドーバー(Dover)です。
デラウェア州における先住民の歴史に少し触れます。デラウェア州は、ヘンローペン岬(Cape Henlopen)からロングアイランド(Long Island)西部までの大西洋岸を占領したアルゴンキン語(Algonquian)を話す北米インディアンの連合でした。植民地化される前は、彼らは特にデラウェア川流域に集中しており、この流域にちなんで連合が名付けられました。しかし、デラウェア族は伝統的に自分たちを「本物の人々」(real people)を意味するレナペ(Lenape)とかレニ・レナペ(Lenni Lenape)と呼んでいました。
伝統的に、デラウェア州は主に農業に依存しており、狩猟と漁業も経済への重要な要素でした。夏の農村地域には数百人が住んでいて、冬には小さな家族の集団が僅かの領土を旅して狩りをしていした。デラウェア州の人々は、母系に基づく3つの氏族のいずれかのメンバーでした。ロングハウス(longhouse)と呼ばれるグループが自治コミュニティの中核を形成していました。
デラウェア族はウィリアム・ペン(William Penn)に最も友好的なアメリカ先住民でした。ペンは宗教家でクエーカー教徒であり後にペンシルベニア植民地総督を務めた人物です。デラウェア族は悪名高いウォーキング・パーチェス(Walking Purchase)という条約によって報酬を得ます。この条約の文書は署名がないか、承認していないが、あるいはあからさまな偽造であったといわれています。条約は、レナペ族の土地を収奪し、イロコイ族(Iroquois)に割り当てられた土地への定住を強制するものでした。やがてヨーロッパの植民者に侵略され、1690 年以降はイロコイ族に支配された彼らは段階的に西に流れ、オハイオ州のサスケハナ川(Susquehanna)、アレゲニー川(Allegheny)、マスキンガム川 (Muskingum)、インディアナ州のホワイト川(White River)に逗留します。
60年間の避難生活を経て、オハイオ川の向こうに住むデラウェア州の人々は部族同盟を再燃させ、イロコイ族からの独立を主張し、進入してくる入植者に抵抗していきます。彼らはフレンチ・インディアン戦争(Frenchi-Indian War)でイギリスの将軍エドワード・ブラドック(Edward Braddock)を破り、当初は独立戦争では北軍を支援するのです。1795年のグリーンビル条約(Treaty of Greenville) で、彼らはオハイオ州の土地を譲渡し種族の多くは散り散りになります。1835年までに一部はカンザスに再び集ますが、ほとんどは186 年にオクラホマ州に移されます。21世紀初頭のデラウェア州の子孫の数は16,900人以上でした。
デラウェア最初の白人定住地は、1638年にスウェーデン人がフォート・クリスティーナ(Fort Christina)、現在のウィルミントン(Wilmington)に築きます。1655年にニュー・スウェーデン(New Sweden)は、ニュー・アムステルダムのオランダ軍(Dutch of New Amsterdam)に、1664年にはイギリス軍に占領されてしまいます。その後、デラウェアは1682年にウィリアム・ペンに割譲されるまでニューヨークの一部でした。
1704年に独自の議会が認められたものの、1776年まではペンシルベニア州が統治していました。1787年に合衆国憲法を批准した最初の州であり、全米で2番目に小さいのですが、人口密度は最も高い州の一つとなっています。主要産業は化学製造業で、次いで食品加工業となっています。デラウェア州で最も重要な交通幹線はチェサピーク・デラウェア運河(Chesapeake Delaware Canal)で、外洋航路のために水深が深くなり、フィラデルフィア(Philadelphia)とボルチモア(Baltimore)間の水路が短縮されます。
デラウェア州で有名なのは、大財閥企業デュポン・ド・ヌムール社(DePont de Nemours)であす。フランスの貴族ピエール・デュポン(Pierre DePont)が州最大の都市ウィルミントンに火薬工場を作り、やがてアメリカ有数の化学企業となります。ついでに「Pierre」とはギリシャ語で「石」という意味です。英語ではPeter、スペイン後ではPedroと発音されます。
この州には多くの法人が登録されています。法人税が安いため籍だけを置く会社が多いというのです。アメリカならではの話題です。
(投稿日時 2024年2月28日)