【話の泉ー笑い】 その二十六 落語 その1 古典落語と創作落語

庶民の楽しみ

私が落語を嗜むようになったのは定年退職後です。それまでは、仕事が特に忙しかったわけでもなかったのですが、他にマラソンをやったり藤沢周平の本を読んだり、カメラをいじったりして落語を楽しむ余裕がありませんでした。

iPodを手にしてから、さてなにを入れようかとしたとき、音楽に加えて落語が有料、無料でネット上で沢山あることを知りました。それ以来iPodに落語をため込んでは歩きながら、山登りを楽しみました。落語の楽しみが少しずつわかり始めました。それは演目もさることながら、噺家によって落語の内容が聞き手に異なって伝わることでした。一つの演目をいろいろな噺家で聞くという贅沢さが楽しくなりました。

江戸時代の噺家

落語は、「落とし話」といわれるように大抵の場合そのお終いに「サゲ」とか「オチ」があります。英語では「punchline」といいます。これを期待して聞き手はどんなサゲなのか、とワクワクしながら待つのです。古典落語はレパートリーが決まっているので、演者の語り口の違いを楽しむことになります。さすがに名人と呼ばれる噺家の語りには聞き惚れます。それからは、新作落語とか創作落語も楽しむようになりました。今や新作落語は、古典落語と並んで落語の大事な幹といわれます。

関西の落語は上方落語と呼ばれます。その中心が、上方落語専門定席の「天満天神繁昌亭」でしょうか。上方言葉の独特な響きが快いです。名人、古今亭志ん朝のように京言葉や大阪言葉などを使い分ける演者も多くなりました。どの噺家も言葉の会得には時間をかけていることがわかります

新作落語は年代的には若手の噺家によるものが多いといえます。例外は、上方落語の名人、桂三枝、今の六代目桂文枝です。お歳は82歳ですが、その創作力には驚くほどです。彼は、「新作落語はおおむね、時期が過ぎたらそのネタを「捨て」ざるを得なくなる運命にある」として、「創作落語」と呼んでいます。この発想は頷けます。柳家喬太郎の「ハワイの雪」という人情噺や「寿司屋水滸伝」という創作落語にもサゲが待っています。どちらも落語の主柱として高度な技芸を要する伝統芸能に間違いありません。もっと創作落語も親しみ笑いたいものです。