【話の泉ー笑い】その十五 チャーリー・チャップリンと「偉大なる独裁者」と「街の灯」

「偉大なる独裁者」製作の経緯です。イギリスがドイツに宣戦布告した6日後の1939年9月に撮影を開始します。チャップリンは、政治メッセージを伝えるためのより良い方法として話し言葉によるセリフを使うことにします。 ヒトラーについてのコメディを作ることは非常な論議をかもすと考えられました。ですがそうしたリスクにあえて、「ヒトラーは笑われなければならないから、私は決心した」と後に書いています。チャプリンは主人公のトランプ(Tramp)に代わって「ユダヤ人の床屋」を演じ、ナチ党のファッシズムや人種差別に苦悩する姿をコミカルながらも生々しく描いています。映画では二重演技において、ヒトラーを模した「アデノイド・ハインケル(Adenoid Hynkel)」独裁者を演じています。この作品には、ベンジーノ・ナパロニ(Benzino Napaloni)という名でイタリアの独裁者ムッソリーニ(Benito Mussolini)に扮した軍人も登場します。

Great Dictator

「偉大なる独裁者」は1940年10月に公開されます。この映画は膨大な宣伝効果を生み、『ニューヨーク・タイムズ』の評論家は「その年に最も待ち望まれた映画」と呼びます。そして当時の最大の収益を上げたようです。チャップリンは映画を6分間の演説で締めくくり、床屋のキャラクターを外してカメラを直接見つめ、戦争とファシズムに対する抗議を訴えます。映像と音声が同期した映画–トーキー(Talkie)はこの映画が最初といわれます。トーキーそのものの爆発性を逆用して、世界人類の敵、ヒトラーとファシズムを糾弾するのです。

このあからさまな演説がチャップリンの人気低下の引き金になったとも指摘されています。政治的な問題を議論する際に繊細さを欠くのは無神経とみなされて嫌われたようです。それにもかかわらず、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)もフランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt) もこの映画を気に入り、公開前にプライベート上映で鑑賞したといわれます。ルーズベルトはその後、1941年1月の大統領就任式でチャプリンを招き、映画の最後の演説をラジオで読ませ、その演説は祝賀会のヒットとなったといわれます。「偉大なる独裁者」は、作品賞、脚本賞、主演男優賞を含むアカデミー賞5部門でノミネートされます。

City Lights

次ぎに、彼の最高傑作とされる映画は「街の灯(City Lights)」といわれます。この作品では、ヒロインとして盲目の花売り娘と浮浪者チャーリーが登場します。二人が交わす言葉と肌の触れ合いの触覚を通じて愛を育んでいくのです。チャップリンは初めてこの映画全編に音楽を付けています。そして映画の全編で「ラ・ヴィオレテーラ(La Violetera)(すみれの花売り娘)」というシャンソンが愛のテーマとして幾度も登場します。

無声映画からトーキーへの変遷について、興味深いエピソードがあります。チャップリンはもともと音声やトーキー映画に反対し、映画は純粋に視覚的な芸術形式である、と信じていたようです。「トーキーは世界最大の芸術であるパントマイムを滅ぼそうとしている」とも述べています。ですが映画では視覚とともに聴覚に訴えるという演出になっていることです。「街の灯」は平面に映し出される無声映画のゆえに、言葉も触覚も間接的にしか表現することができできなかません。その矛盾を乗り越えるためにチャップリンが選んだ手段が、すなわちシャンソン曲のラ・ヴィオレテーラをBGMに選ぶことだったといわれます。