アメリカ合衆国建国の歴史 その145 米比戦争の開始と結果

米比戦争 (Philippine–American War) の開始2日前に、マニラ郊外でアメリカ軍とアギナルドの反乱軍との間で戦闘が始まります。ここに本格的な米比戦争が始まります。その後3年間、フィリピン人はアメリカの支配に対してゲリラ戦を展開します。戦闘が終わるまでに、約2万人のフィリピン軍と20万人の民間人が死亡します。アメリカ人の死者は4,300人と推定されていますが、その圧倒的多数は病気によるものといわれます。

米西戦争 (Apanish–American War) は短期間であり、資源と人命の両方において比較的安価であったといわれますが、両国の歴史における重要な転機となります。スペインにとって、この戦争は直ちに悲惨な結果をもたらしますが、その後、スペイン人の生活は、知的にも物質的にも目覚しい復興を遂げていきます。サルバドール・デ・マダリアガ(Salvador de Madariaga)がその代表作『スペイン:近代史』(Spain: Modern History)の中で次のように書いています。

「スペインはこれまでのような海外での冒険の時代は終わり、これからは自分の未来は自国にあると感じる。何世紀にもわたって世界の果てを彷徨ってきた彼女の目は、ついに自国の領土に向けられたのである。」

スペインはその後20年間、農業、鉱物資源の開発、工業、交通の分野で大きな進展を遂げます。また、「1898年世代」(Generation of 1898)と呼ばれる優秀な思想家や作家が誕生し、スペインはヨーロッパで何世紀にもわたって享受してこなかった知的、文学的地位を獲得することになるのです。

戦勝国のアメリカにとって、その結果は全く異なるものでした。アメリカは、この戦争で世界の大国となります。アメリカは、カリブ海と太平洋にまたがる島国を領有し、戦争によって併合が早まったハワイもその一つでありました。経済的な動機は、戦争勃発にはほとんど関与しませんでしたが、平和の形成には明らかに貢献します。カリブ海、極東アジア、そしてその間の海域での足がかりの獲得は、海外市場へのアクセスを確保するための半世紀にわたる暫定的で断続的な探求のクライマックスとなります。

パナマ運河

米西戦争により、太平洋と大西洋はアメリカが建設した運河でパナマ地峡(Isthmus of Panama)を貫通します。この戦争は、アメリカ海軍への熱意を刺激し、アメリカ海軍は世界の戦艦の中で5、6番目から2番目へと成長します。戦争への備えが不十分で、敵の攻撃による犠牲者よりも、被爆や病気による犠牲者の方がはるかに多かったアメリカ陸軍の抜本的な改革を促したのです。また、アメリカ初の世界志向の大統領、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の経歴も上がりました。戦争終結から数年のうちに、アメリカはカリブ海をアメリカの湖とし、オープンドア政策(Open Door policy)などの極東政治に主導的な役割を果たし、ヨーロッパ情勢に決定的な役割を果たす準備を推進していくのです。

Theodore Roosevelt