アメリカ合衆国建国の歴史 その133 銀とマッキンリーの関税の問題

連邦議会は、反トラスト法を可決してから2週間足らずで、シャーマン銀購入法(Sherman Silver Purchase Act)を制定しました。この法律は、財務長官が毎月13万キログラムの銀を市場価格で購入することを義務付けるものでした。この法律は、1878年のブランド・アリソン法(Bland–Allison Act)に取って代わり、政府の毎月の銀購入量を事実上50%以上増加させるものでした。この法律は、銀価格の下落に危機感を抱いた鉱山主や、インフレ対策に常に好意的で生産物の価格下落に苦しんでいた西部の農民からの圧力に応えて採択されたものでした。

マッキンリー関税法の風刺画

共和党の指導者の多くは、銀の購入量を増やすという提案に冷淡でした。自分たちが最も関心のある保護関税の上方修正という措置に対する西側の票を確保するためにのみ、この提案を受け入れました。これは、1890年10月の中間選挙の1ヶ月前に議会で可決されたマッキンリー関税法(McKinley Tariff Act)で達成されます。この関税法は、農産物を保護対象品目に加えることで、農民の関心を高めるものでした。また、砂糖など一部の農産物は自由品目に指定され、国内の砂糖栽培農家には1ポンド2セントの補助金が支払われることになります。しかし、この法律の中心的な特徴は、関税表の全般的な引き上げであり、その多くは一般消費財に適用されるものでした。

マッキンリーの関税政策

この新関税は、すぐに議会選挙の争点になります。農産物価格の下落に歯止めをかけることはできなかったのですが、農民が購入する多くの品目の価格はほとんど即座に上昇します。西部と南部の農業地帯ではすでに不満が渦巻き、マッキンリーの関税は農民の憤りをさらに高めることになります。選挙の結果は、共和党は大敗し下院の勢力はほぼ半分になります。