アメリカ合衆国建国の歴史 その76  移民と人口の増加

アメリカ社会は急速に変化していきます。人口増加率は、ヨーロッパ人にとっては驚くべきものでしたが、前世紀数十年間のアメリカの人口増加のペースは、10年で10分の3から3分の1というのが普通でした。1820年以降、人口増加率は全国一律ではありませんでした。ニューイングランドと南部大西洋岸地域は、人口の増加率は低迷します。ニューイングランドは西部保護地域の優れた農地に入植者を奪われ、南部大西洋岸地域は新参者に提供する経済的場所が少なすぎたからです。

1830年代から1840年代にかけての人口増加の特徴は、移民によるものでした。19世紀の最初の30年間に到着したヨーロッパ人は約25万人でしたが、1830年から1850年にかけてはその10倍となりました。移民は、アイルランド人とドイツ人が圧倒的に多く、彼らは、個人ではなく家族単位で渡航し、豊かな労働、土地、食料、自由、そして兵役のないアメリカ生活の驚くようなチャンスに魅了されたのです。

White Anglo Saxon Protestant

しかし、移民に関する単なる統計は、南北戦争前のアメリカにおける移民の重要な役割のすべてを語ってはいません。技術、政治、偶然性が交錯し、また新たな「大移動」が生まれたのです。1840年代には、大西洋での蒸気輸送が始まり、最後の世代のウィンドジャマー(windjammers)と呼ばれた貨物用帆船が帆走速度を向上させたことで、外洋航路はより頻繁に、規則正しく利用されるようになりました。どん欲なヨーロッパ人がアメリカの呼びかけに応じ、農地を占拠し、都市を建設することが容易になっていきます。アイルランド人の移民は、1845〜1849年のアイルランドのジャガイモ大飢饉によって流れを本流に変えていきます。

他方、ヨーロッパでは、民主主義思想の着実な成長が、フランス、イタリア、ハンガリー、ドイツで1848年の革命を生みます。イタリア、ハンガリー、ドイツ3カ国の革命は残酷にも弾圧され、政治難民が続出します。したがって、革命の後に渡航したドイツ人の多くは、自由な理想、専門的な教育、その他の知的資本をアメリカ西部に持ち込んだ難民でした。アメリカの音楽、教育、ビジネスに対するドイツ人の貢献は、統計で測ることはできないほどです。また、アイルランド人の政治家、警察官、神父がアメリカの都市生活に与えた影響や、アイルランド人全般がアメリカのローマ・カトリックに与えた影響も定量化することは難しいといえます。

Potato Famine

アイルランド人とドイツ人のほか、1850年代に農業不況のあおりを受けて、まだ開拓されていない大平原に新しい土地を求めて移住した何千人ものノルウェー人とスウェーデン人がいました。また、1850年代にカリフォルニアに移住した中国人は、苦境を乗り越えて金鉱で新たな機会を得ようとします。これら移民もまた、アメリカの文化に多大な影響を与えていきます。