ユダヤ人と日本人 その10 日露戦争とジェイコブ・シフ

毎週、再放送されている「坂の上の雲」を観ている。司馬遼太郎の文章もいいが、ビデオもいい。日露戦争の緊張が伝わる。この戦争は日本の命運を賭けた一大事件ともいえるものである。なぜヨーロッパの大国ロシアを相手に戦いを挑んだのか。戦争を遂行するだけの国力や財があったのかが知りたくなる。調べていくとそこにユダヤ人と日本との関わりがあったようだ。

アジアにおける帝国主義は、とりわけ日本とロシアの関係に緊張をもたらす。ロシア帝政=ツァーリの満州や朝鮮への進出が日本の権益とぶつかるのである。当時日本は、欧米列強にくらべ経済力でも軍事力でも大きく立ち後れていた。にも関わらずロシアとの戦争を予想していた。そのためには戦時国債として1,000万ポンドを調達する必要があった。

日銀副総裁であった高橋是清が外債募集のためアメリカにわたる。だが交渉は失敗に終わる。次に日英同盟が結ばれていたイギリスにわたり、そこでユダヤ系のアメリカ人銀行家であったジェイコブ・シフ(Jacob Schiff)に会う。そして彼の経営するクーン・ローブ社(Kuhn Loeb)から500万ポンドの融資交渉に成功する。シフらの支援を受けて、残り500万ポンドの国債もイギリスの金融機関から引き受けて貰うことになる。

こうして1904年5月、日本は戦時国債を発行することができた。今でいえば200億円くらいの調達額にあたる。以後、日本は3回にわたって公債を募集する。シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)やニューヨークのウォール街(Wall Street)における日本の資金調達に尽力する。こうしたシフの日本への強力な資金援助は、日露戦争における日本の勝利と帝政ロシア崩壊のきっかけをつくることになったといわれる。

Wikipediaによれば、シフの日本に対する融資の理由は、ロシアでのユダヤ人迫害といわれるポグロム(pogrom)に示されるツァーリによる反ユダヤ主義(Anti-semitism)に対する反対であったようである。特に1903年、今のモルドバ(Republica Moldova)の首都であるキシナウ(Kishinev)で発生した大規模なキシナウ・ポグロム(Kishinev pogrom)にシフは唾棄しそれへの痛烈な非難を向けたいう。

シフのツァーリ打倒運動は、第一次世界大戦の前後を通じて世界のほとんどの国々に融資をしてきたことに示される。さらに1917年にレーニン(Vladimir Lenin)、トロツキー(Leon Trotsky)に対して資金を提供してロシア革命を支援した。ついでだがトロツキーはユダヤ系ロシア人であった。

日露戦争が終わり、1905年のポーツマス条約の締結によって南樺太が日本に割譲される。これにより国策により大勢の移住者に混じって筆者の父方の成田家、母方の吉田家も南樺太へ向かう。筆者は樺太生まれである。
cfd6ac01e70baa4c43114dc3c7ddda6a Treaty_of_Portsmouth ポーツマス講和会談

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