南北戦争後の急激な資本主義の発展のなかで、牧畜業者、鉱山業者、森林業者、鉄道業者、土地投機業者、そして農民は諸部族の保留地の土地と資源に目をつけて保留地そのものを解体しようとしていました。他方、人道主義的改革家は、部族の組織と部族文化を解体し、彼らを農民や市民として文明化し、白人市民社会に同化させることを目指しました。この経済的欲求と文明化のイデオロギーが合致して、1887年に一般ドーズ法(Dawes Act)と呼ばれる土地割当法が制定されます。それは、保留地の一部を部族個人に単純所有地として割り当て、余剰分を白人耕作者に解放すると規定したもので、軍事力による土地収奪から、法により土地奪取へと転換するものでした。
その後の修正立法措置で割り当て地そのものにも賃貸制が導入されて、保留地の土地は急速に部族の手から白人の手に移りました。その結果1887年に1億5800万エーカーであった保留地は1900年には7780万エーカーに、1934年には4900万エーカーに減少しました。1924年にいたって部族に市民権が認められたものの、白人市民と完全に平等になったわけではありませんでした。土地と文化を奪われつつあった西部の諸部族は、救済を宗教にもとめ、ゴーストダンス(Ghost Dance)やサンダンス(Sun Dance)、ペヨーテ信仰(Peyotism)が流行していきます。ちなみに1エーカーとは4047平方メートル位で、東京ドームはおよそ11.5エーカーです。ゴーストダンスとは、先住民族の間におこった千年王国論的な宗教運動で、1870年にネバダ州の先住民パイユート(Paiute)のウォボカ(Wovoka)という予言者によって始められたものです。サンダンスとは、自然復活と和平祈願の最大の儀式で「聖なるパイプ」と煙草が用いられます。