入植者にさらに深刻な影響を及ぼしたのは、イギリスの新たな歳入財政政策でした。イギリス政府は、拡大する帝国を支えるため、もっと多くの資金を必要とすると同時に、国内では納税者の不満の増大に直面していました。植民地が自らの防衛の費用を負担することは、政府にとって十分に妥当な政策だと考えられました。イギリス議会が新たに税金を徴収することによって、植民地の自治を圧迫していきます。
課税の第一歩として、1733年の糖蜜法(Molasses Act)に代わって、1764年に砂糖法 (Sugar Act)が制定されます。糖蜜法とは、アメリカ植民地に対して外国領産糖蜜・砂糖の輸入に課した高額な関税法のことです。これに代わる砂糖法は、外国製ラムの輸入を違法とし、あらゆる地域から入る糖蜜に控えめな関税を課し、またワイン、絹、コーヒーなど多くのぜいたく品に課税することを定めました。イギリス政府は糖蜜法を精力的に執行します。税関吏は、職務の効果を上げることを命じられます。アメリカ海域を航行する英国の軍艦は密輸業者を捕獲するよう指示され、イギリスの役人は、「家宅捜索令状」によって、疑わしい施設を捜索することができました。
砂糖法が課した関税とその執行のための措置は、いずれもニューイングランドの商人たち仰天させます。彼らは、たとえ少額であっても関税を払えば、事業に壊滅的な影響が及ぶと主張します。商人、議会、そして町民会が、この法律に抗議していきます。植民地の弁護士は、「代表なき課税」(Taxation without representation)に対して抗議します。イギリス議会への代表権がないのにイギリスの国税を課税することは不合理と主張します。この「代表なき課税」というスローガンは、多くのアメリカ人に、母国によって抑圧されているという実感を与えていきます。
その後、1764年に、イギリス議会は「今後、国王陛下の植民地で発行される紙の信用証券を貨幣とすることを禁じるため」に、通貨法(Currency law)を制定します。アメリカの13植民地すべての通貨制度を完全に支配しようとするのです。通貨法はジョージ3世の治世中にイギリス政府によって可決された最も影響力のあるものといわれました。