アメリカの植民地は、多くの点でヨーロッパの国々から隔離されていましたが、それにもかかわらず、海外からの外交的および軍事的圧力に絶えず晒されていました。特に、スペインとフランスは常に近くにあり、アメリカ本土での商業的および領土的利権を増やすために、アメリカにおけるイギリスの弱さの兆候を利用するのを待っていました。
帝国間の第一次世界大戦、またはアメリカ人に知られているフレンチ・インディアン戦争(French and Indian War)は、この世紀におけるヨーロッパの主要国間の戦争のもう一つのラウンドでした。最初はウィリアム王戦争(King William’s War)(1689–97年)、次にアン女王戦争(Queen Anne’s War)(1702–13年)、そして後にジョージ王戦争(King George’s War)(1744–48年)で、イギリス人とフランス人は戦いました。先住民族の支配、アメリカ大陸の北にある領土の所有、北西部の貿易へのアクセス、西インド諸島の商業的優位性のためです。
両国間の争いでは、フランスはスペインに助けられていました。スペインは、イギリスの植民地のすぐ南と西、およびカリブ海に独自の領土を持っていたため、イギリスの拡大を制限するためにフランスと協力することが自分たちの利益であることに気づきました。こうした争いの集大成は、1754年にヨーロッパの大戦で起こりました。アメリカでのイギリスとフランスの間の長い争いは、主にアメリカ大陸という地方の問題であり、アメリカの入植者がイギリスのために戦ってはいましたが、帝国同士の大戦では、アメリカへはイギリス軍のかなりの支援がありました。ウィリアム・ピット(William Pitt)の下でのイギリスの戦略は、彼らの同盟国であるプロイセンをヨーロッパでの戦闘の矢面に立たせることで、それによってイギリスがアメリカに軍隊を集中させるというものでした。