アメリカ合衆国建国の歴史 その24 植民地における文化や科学の発展

17世紀から18世紀にかけてのアメリカの知的文化の発展は、ヨーロッパ諸国のそれと劣ることはありませんでしたが、明らかに異なる特徴もありました。野蛮な方法で土地を収奪するという問題に直面はしましたが、アメリカ人を最も興奮させたのは科学の応用技術でした。科学によって周囲の現象を説明し、それによって現象を利用する方法を見つけていくことでした。この科学的思考は市民社会の問題を解決することができますが、植民地時代のアメリカでは、多くの場合、政治や哲学においてではなく科学技術の応用に重点がおかれてきました。

John Bartram

アメリカが生んだ科学の天才は、ペンシルベニア州出身のジョン・バートラム(John Bartram)でした。彼は、新大陸で重要な植物データを収集し分類します。 1744年に設立されたアメリカ人文科学協会(American Philosophical Society)は、アメリカの優れた学術団体として知られていました。アメリカで最初のプラネタリウムを建設した天文学者はデビッド・リッテンハウス(David Rittenhouse)でした。ニューヨーク州副知事のカドウォールーダー・コールデン(Cadwallader Colden)は、植物学者および人類学者としての業績が、おそらく政治家としての業績を上回っていました。社会改革の多くの分野のパイオニアであり、植民地時代のアメリカの物理学者の第一人者の一人であるベンジャミン・ラッシュ(Benjamin Rush)は、人文科学協会の有力な会員の1人でした。人文科学協会の創設者の一人にベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)がいました。

Benjamin Franklin

彼は、電気の流れに関する実験で主要な理論的進歩を発表した数少ない科学者の一人となりました。他に効率的なストーブの製造とか避雷針の開発などの応用研究でも知られています