アメリカ大陸におけるイギリスの植民地化政策は、ヨーロッパ人による開拓の序章に過ぎません。1418年にポルトガル人 (Portuguese) が、北アフリカのモロッコ(Morocco)西方、大西洋上にあるポルトサント島 (Porto Santo) へ航海し、それが開拓政策の始まりといわれます。1487年にはポルトガル人は、アフリカの西海岸沿いに位置するモーリタニア(Mauritania)のアルギン(Arguin)、シエラレオ(Sierra Leone)、エルミナ(El Mina)などに交易の拠点をおきます。1497年にはヴァスコダ・ガマ(Vasco da Gama)がアフリカ南端の喜望峰(Cape of Good Hope)を通り、アフリカの東海岸に到達します。その後、ポルトガルはインドにおける商業圏を築くことになります。1500年には、ペドロ・カブラル(Pedro Alvares Cabral )は、ブラジル(Brazil) を経由してインド洋に達します。ポルトガル人はこうして新大陸へも進出していきます。
航海や探検におけるポルトガル人の活躍に続いて、コロンブスのアメリカ大陸への航海後、スペイン人も急速に航海を始めていきます。カリブ海(Caribbean Sea)をはじめ、新スペイン(New Spain)やペルー(Peru)などを征服し、ヨーロッパ諸国の新大陸への関心や羨望を大いに高めます。
フランスは、ヨーロッパにおける戦いでは自国の領土を保全していきますが、スペインやポルトガルのように海外への進出は遅れをとっていました。16世紀初頭になると、フランスの船乗りはニューファンドランド(Newfoundland)に拠点をつくります。1534年にはジャック・カルティエ(Jacques Cartier)は、セントローレンス湾(Gulf of St. Lawrence)の探検に乗り出します。1543年までに、フランスは新大陸での植民地化を断念していきます。16世紀の後半になると、フランスはフロリダ(Florida)やブラジルに植民地をつくろうと試みます。しかし、いずれも失敗に終わり16世紀はスペインとポルトガルの二カ国が新大陸における植民地づくりに傾注します。