紀元前17世紀、アブラハム(Abraham)、イサク(Isaac)、ヤコブ(Jacob)などユダヤ民族の族長らがイスラエルの地に定住する。もともとユダヤ人は農耕や牧畜に従事していた。しかし飢饉によりユダヤ人はエジプトへの移住を余儀なくされる。
紀元前13世紀頃、イスラエルの民はモーセ(Moses)に率いられてエジプトを脱出しシナイ半島(Sinai)の砂漠を40年間流浪し、やがてイスラエルの地に定住しユダ王国(Kingdom of Judah)を建設する。首都はエルサレム(Jerusalem)、初代王はサウル(Saul)となる。このあたりは地中海とアラビヤの砂漠に囲まれた肥沃な土地であった。この史実は出エジプト記(Exodus)の1章から4章に詳しい。有名な十戒(Ten Commandaments)は同記20章に記述されている。
だが紀元前597年、ユダ王国がバビロニア(Babylonia)の王ネブカドネザル(Nebuchadnezzar)によって滅び、捕虜となったユダヤ人が現在のイラクの南部にあたるメソポタミア(Mesopotamia)に移住を強いられる。これがバビロン捕囚(Babylonian Captivity)である。エジプト脱出が序章とすればバビロン捕囚はユダヤ人流浪の第二章といってもよい。
時代は中世に移る。追放されたユダヤ人の多くは東方へと移民した。まずはオーストリア(Austria)、ボヘミア(Bohemia)、モラヴィア(Morabia)、ポーランド(Poland)などの地域へ移住する。ポーランド王国は1264年にポーランド中央部の都市カリシュ(Kalisch)において「カリシュの法令」、別名「ユダヤ人の自由に関する一般憲章」を発布してユダヤ人の社会的権利を保護した。こうしてポーランド地方はユダヤ人にとって非常に住みやすい国となった。彼らは後にポーランド・リトアニア(Lithuania)共和国の全地域へと拡散した。
こうして大きなユダヤの民族集団が東ヨーロッパや地中海を端から端まで移動することになるのだが、シースル・ロス(Cecil Roth)は「ユダヤ人の歴史」の中で「その特徴は自分たちの宗教だけでなく、自分の文明も一緒にもって移動することに成功した」と指摘する。この事実が、幾多の迫害を受けてきたにも関わらず、今に至るまで宗教的伝統や生活を高度に維持し、世界に存在感を示しているというのである。