囲碁にまつわる言葉 その23 【武士道】

碁老連初代会長の熊崎正一氏は、囲碁の位置づけに関して「国の認識を”ゲーム、娯楽”から”伝統的文化”へと修正させよう」と奮闘されます。囲碁は他の娯楽と違って武士道に通じており、その普及は道徳の普及でもあるという主張です。1899年にニューヨークで英文の「Bushido:The Soul of Japan」が出版されます。原題は『武士道』といい、新渡戸稲造が武士道を論じた書物です。西洋の騎士道に対比させ、武士道を西洋の騎士道にも匹敵する高潔な精神と主張しています。

佐賀藩鍋島家の家臣・山本常朝が口述した『葉隠』には、「武士道とは死の教えである」とあります。死の強要ではなく、死の覚悟を不断に持することによって、生死を超えた「自由」の境地に到達する精神というように解釈されています。さらに「奉公の至極の忠節は、主に諫言して国家を治むること」ともあります。主君が誤った方向に進んでいるならば、主君を諫めることが大事だというのです。藩主に仕える者の心構えのことです。これはかなり思い切った主張といえそうです。

新渡戸稲造夫妻

—–【武士道】——–
囲碁は昔から武士の間で嗜まれ、強い人を集めて城で碁を打っていたようです。平時にはたっぷりと時間があったからでしょう。武士は美徳を大事にし、行動の道徳性が尊敬されていました。「敵に塩を送る」という逸話ですが、敵の弱みにつけこまないで、逆にその苦境から救うことも武士道の例といえましょう。

もともと囲碁は、伝統的文化として定着したはずですが、武士道とか道徳という精神性は、戦後の改革によって「娯楽」に追いやられます。そのことは、総務省が発行しているの「日本標準産業分類」をみると理解できます。この分類の大項目に「娯楽業」があり、その下部に「遊技場」という中項目があり、その中に、ビリヤード、マージャンクラブ、パチンコホール、ゲームセンターに交じって「囲碁・将棋所」が配置されています。