囲碁にまつわる言葉 その19 【碁所】

現在、八王子に数カ所の碁会所があります。2000年代ごろからはネット碁の普及が進み、碁会所に行かず対局相手を探すことが容易になりました。碁会所にとっては厳しいライバルとなっています。店主は席亭と呼ばれ、来客者の棋力の認定とマッチメイキングが主たる仕事です。2010年ごろには「囲碁ガール」という言葉も生まれ、女性向きの雰囲気の碁会所や、囲碁喫茶・囲碁カフェなどもできてきました。多様な碁会所の在り方が模索されています。2008年には、フリーペーパー「碁的」という囲碁ガールのための無料の雑誌が刊行されます。囲碁のお堅いイメージを避け、「囲碁メン 恋の徹底攻略」「碁クササイズ」といった女性ファッション誌のような内容となっています。

—–【碁所】——–
碁所(ごどころ)のいわれは、1588年に豊臣秀吉が時の第一人者であり名人の呼称を許されていた本因坊算砂に20石20人扶持を支給したことに始まるといわれます。役職となって碁打が召し抱えられるのです。徳川家康が囲碁を愛好したことなどから、江戸幕府でも役職の一つとされて、寺社奉行の管轄下で、その職務は御城碁の管理、全国の囲碁棋士の総轄などといわれました。1668年に幕府により安井算知を碁所に任命したのが始まりといわれます。各藩においても、碁技により禄を受けた者を碁所と呼ぶこともあったようです。

本因坊記念館

碁所の定員は1名で50石20人扶持をもらっていました。囲碁家元である本因坊家、井上家、安井家、林家の四家より選ばれ、就任するためには名人の技量を持っていることでした。各家元はこの碁所の地位をめぐって争碁、政治工作などを展開します。水戸藩主徳川斉昭、老中松平康任、寺社奉行なども巻きこんだ本因坊丈和、井上幻庵因碩による抗争は有名であり、「天保の暗闘」として知られています。

日本の政治家の中にも碁を好んでいる人がいます。民主党代表の小沢一郎とか、亡くなりましたが自民党の与謝野馨が有名です。二人は長年の碁敵で対局はしばしば行われたようで、対局直後に自民党と民主党の大連立構想が持ち上がったといわれます。2011年の菅第二次改造内閣では与謝野は、内閣府特命担当大臣〔経済財政政策、少子化対策、男女共同参画〕に就任します。野党議員と碁を打って対立色をほどき、互いに無理をのみ合うことがよくあったようです。