ミュージカル『エビータ』(Evita)をもとにした1996年のアメリカ映画です。アルゼンチン(Argentine)のファーストレディ(First Lady)であったエバ・ペロン(María Eva de Peron)を描いています。フアン・ペロン(Juan Domingo Peron)大統領と結婚し、後に政治にも介入するようになります。アルゼンチン国内では人気が高く、民衆は親しみをこめてエビータ(Evita)と呼んでいました。Evitaを演じたのはマドンナ(Madonna)です。
ペロンは軍人で、1943年6月のクーデター以降、労働組合の支持を得て徐々に勢力を増していきます。1944年1月のサンフアン大地震(San Juan Earthquake)の救済コンサートでエバとペロンは出会い、愛人として、かつ共に権力を目指すようになります。エバは上流階級の社交界にも顔を出すようになっていきます。しかし、その出自から軍部や上流階級どちらからもひんしゅくを買うようになります。
1945年のクーデター (Coup detat) によりペロンは一時拘束されますが、エバはラジオ番組や演説を通じて働きかけ、ペロニスト(Peronists) の民衆もペロンの釈放を求めて続々と首都ブエノスアイレス(Buenos Aires) に集結します。解放されたペロンはエバと正式に結婚。「労働者の味方」を演出してさらに人気を上げ、エバはついに26歳にしてアルゼンチンのファーストレディとなります。ペロンが大統領に就任した際、大統領官邸カサ・ロサダ (La Casa Rosada)のバルコニーで、エバは「アルゼンチンよ泣かないで」Don’t cry for me Argentina)を歌います。
エバは財団基金の名のもと集めた寄付で、ディオール ((Christian Dior) の服や毛皮、宝石などで華やかに着飾って、「レインボー・ ツアー」(Rainbow Tour)と銘打ってヨーロッパ各国を歴訪します。さらに婦人参政権運動をすすめ、貧しい人々を助けるエヴァ・ペロン財団(Eva & Peron Foundation) を設立するなど、精力的に活動を続けます。しかし、特権階級が独占していた富を吸い上げ、奔放な施策で貧困層の不満のガス抜きをしますが、問題の根本的な解決には至らず、アルゼンチンの混乱は続きます。鉄の意志のような振る舞いで、夢を実現してきたエバも、病に襲われ33歳で亡くなります。葬儀は国民葬で執り行われました。人生を激しく生きた稀有な女性といわれています。