日本にスキーを伝えたのは、オーストリア(Austria)の将校、テオドール・フォン・レルヒ少佐(Theodor von Lerch)です。わが国の軍事視察と軍事教練を目的として来日します。その背景には、1902年1月に起こった八甲田雪中行軍遭難事件があります。陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件です。訓練に参加した210名中199名が死亡するという史上最悪の遭難事件です。この遭難を教訓に、寒冷地での軍事教練を強化し指導するためにレルヒは招聘されます。
1911年1月にレルヒは高田、現在の上越市の陸軍第13師団の歩兵58連隊に送られます。彼はさっそく雪の中を進む軍事訓練として、兵士たちにスキーを紹介します。彼はオーストリアから持ってきた1組のスキー(Ski)を見本をもとに、訓練用のスキーを製造し、数名の青年将校にスキーの練習を命令します。レルヒがその講師です。
レルヒは1年余りを高田で過ごします。この間、陸軍第13師団において良き理解者に恵まれ、スキーの指導にも熱心に力を注ぎました。訓練用のスキーは一本のステッキを使って操作するものでした。レルヒは、スキーを学んだ将校たちに、越後地方の学校でスキーを教えるように促します。レルヒも民間人にスキーを教えることには大いに乗り気で、特にジャーナリストと教師にスキーを教えます。