日本にやって来て活躍した外国人 その三十二  グイド・フルベッキ

グイド・フルベッキ(Guido H. Verbeck)は、オランダ出身でアメリカに移民し、日本にキリスト教オランダ改革派宣教師として派遣された法学者・神学者・宣教師であります。

1855年にニューヨーク市(New York)にある長老派のオーバン神学校(Auburn Seminary)に入学します。神学生の時に、サミュエル・ブラウン(Samuel R. Brown)の牧会するサンド・ビーチ教会(Sand Beach Church)で奉仕し、これをきっかけにブラウンと共に日本に宣教することになります。1859年オーバン神学校を卒業する時に、ブラウン、シモンズ(Duane B. Simmons)と一緒に米国オランダ改革派教会の宣教師に選ばれます。長老教会で按手礼を受け改革教会に転籍して、正式に米国オランダ改革派教会の宣教師に任命されます

致遠館でのフルベッキと教え子達

1859年11月にフルベッキは長崎に上陸します。キリシタン禁制の高札が掲げられており、宣教師として活動することができません。しばらくは私塾で英語などを教え生計を立てていたようです。1862年には、自宅でバイブルクラスを開き、1861年から1862年にかけては佐賀藩の大隈重信と副島種臣がフルベッキの元を訪れ、英語の講義を受けます。

明治学院大学記念館

さらに佐賀藩が長崎に英学を学ぶための藩校としてつくった致遠館でフルベッキは大隈重信や副島種臣など多くの指導者を育成します。その後は明治政府に登用され、太政官顧問になります。退官後、1878年には日本基督ユニオン教会で旧約聖書翻訳委員に選ばれ、文語訳聖書の詩篇などの翻訳に携わります。1883年4月大阪で開かれた宣教師会議で「日本におけるプロテスタント宣教の歴史」について講演もします。1886年の明治学院の開学時には、理事と神学部教授に選ばれて、旧約聖書注解と説教学の教授を務めます。1888年には明治学院理事長に就任します。