日本にやって来て活躍した外国人 その十 鑑真

中国、唐代の高僧、鑑真の日本に与えた影響について振り返ります。世界大百科事典によりますと、14歳で出家し洛陽の都長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り、やがて江南第一の大師と称されていきます。742年の第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、鑑真は渡日を決意します。5回の渡航の試みの後、753年に6回目にして沖縄を経由して南さつまに漂着します。このとき一緒に航海していた吉備真備も唐より帰国します。

平城京に到着した鑑真は、聖武上皇や孝謙天皇らから歓待を受けたといわれます。鑑真が行ったのは、戒律を伝えることでした。戒律とは、僧が守るべき仏教の大切なきまりです。生き物を殺さないこと、物をぬすまないことといった戒律です。鑑真は、戒律を守らせることで、仏教を正しく理解する多くの僧を育てていきます。この仏教の宗派は律宗と呼ばれます。戒律の研究と実践を行うのです。

鑑真により伝えられた戒律思想は,東大寺、薬師寺(下野)、観世音寺(筑前)において僧侶に戒律を授ける壇(三戒壇)の成立によって授戒制度が整備され,天平仏教に点睛を加えたといわれます。仏に帰依する人を育てる、弟子を育てる、後継者を育てるという信念は多くの人々に受け入れられたのです。

唐招提寺金堂

759年。鑑真は、さらに僧を育てるため、戒律の根本道場唐招提寺を都に開きます。律宗の総本山となります。僧の修行の場だった講堂をはじめ、仏像が並ぶ金堂などは、奈良時代に作られた貴重な建物として世界遺産に登録されています。国宝となっている鑑真和上像は、わが国に現存する最古の肖像彫刻といわれます。「招提」とは私寺という意味だそうです。唐招提寺の金堂は2000年から「平成の大修理」が行われ、2009年11月に落慶行事が行われました。