日本にやって来て活躍した外国人 その九 トーマス・グラバー

幕末から明治初期にかけ、日本の産業革命の推進に寄与した人物の1人に、長崎で活躍したスコットランド人貿易商トーマス・グラバー(Thomas Blake Glover)がいます。世界文化遺産の対象となった長崎の「旧グラバー住宅」、小菅修船場跡、高島炭坑などはグラバーが設立や建設にかかわったものです。

Thomas B. Glover

グラバーが持ち込んだ西洋からの最新技術、招かれた技術者や専門家によって、日本の造船、製鉄、石炭産業分野の近代化は急速に加速していきます。商業鉄道が開始されるよりも前に蒸気機関車の試走を行い、長崎に西洋式ドックを建設し造船技術を持ち込みます。日本人が技術者として育っていくのは、グラバーらの尽力によることが多かったようです。わずか50年あまりで日本は世界有数の近代産業国家に変身していきます。日本の産業化中興の祖(Founding father of Japan’s economic growth)と言われることもあります。

長崎観光の人気スポットとなっている「グラバー園」には、居留地時代のレトロな洋館が建っています。グラバーが長崎港や長崎製鉄所を見下ろす高台に「旧グラバー住宅」を建てたのは1863年です。木造のL字型バンガローで、扇型屋根、それにコロニアル風の大型窓などが特徴です。最初の和洋折衷建築で現存する最古の洋風木造建築となっています。

グラバー園

グラバーは流暢な日本語を操り、薩摩藩の依頼で外国船輸入の斡旋にかかわったことから、薩摩、長州、土佐などの西南雄藩への船舶、武器、黒色火薬などの密貿易を行いました。グラバーは討幕派を支援し、密貿易だけでなく、当時の国禁を犯して薩長両藩の武士たちの海外渡航に協力します。

Tsuru Glover

1863年に横浜から長州藩の5人の若者の英国渡航を手助けます。この5人は、初代首相の伊藤博文、初代外相の井上馨、日本工業の祖、山尾庸三、造幣局長となった遠藤謹助、鉄道庁長官となった井上勝です。1865年には、やがて大阪経済界に君臨する五代友厚が率いる薩摩藩士19人の訪英も手助けするのです。こうした海外渡航によって明治の政界や経済界に指導者が育っていきます。