ハングルと私 その25 韓国についての誤解にどう向きあうか

この稿で「ハングルと私」は終わりとします。
世の中には、いろいろな誤った見方や考え方があります。日本人の韓国や韓国人に対する誤解もそうです。例えば韓国の人は「アグレッシブで喧嘩早い」とか「反日感情を過剰に持っている」などという風評です。そういう人もいるのは確かですが、こうした人々は5%以下でしょう。5%というのはどの国にも当てはまる数字です。大多数の韓国人は個人として付き合えば実に友好的で儒教の仁や仏教、キリスト教の教えを実践している印象を受けます。韓国はこの3つの宗教が共存している国です。人との付き合いを深めていけば、感情の機微や暖かみを体験できるのです。個人と個人、家族と家族との出会いは偏見や誤解を溶かしてくれます。

世の評論家は得てして、「日本と韓国の関係は、かくかくしかじか」とのたもうのが好きですが、そのようなご宣託はあまり役に立たないのです。どうしたら仲良くできるかです。それには、その国の言葉を学び文化を知り、できればその国を訪ねて対話し、自分の目で確かめることです。そして親しき友をつくる努力をするのです。

友だちをつくるというのは、互いに異なる考えを持ちながらも、それを柔軟に修正できる感性を育てることです。「自分の見方はもしやして偏っていないか、」と自分に問える姿勢です。未知なことを学び、考える態度を持つことです。どのような方法にせよ、何からか誰かから教えを受けるということです。文化という定義はそれを使う人の数だけあるといわれます。なにが正しいとか間違っているというのではありません。町や村の違い,国と国との違いは人々の考え方に反映します。この考え方は文化の相対性ということです。このことを理解したいものです。