ハングルと私 その1 「ジョッパリ」

令和元年は我が国と大韓民国(韓国)との間の関係がぎくしゃくしています。それは政府と政府の関係であり、国民一人ひとりからの側からみれば、そんな不幸な関係とはなっていません。両国は持ちつ持たれつの関係にあるのです。今日からしばらく私と韓国、ハングルのことをエピソードから紹介することにします。

私は小さい時、母親から叱られるときに「ジョッパリ!」といわれました。母親の言うことに反抗したり従わない時に浴びせられました。父親は津軽の出身。津軽弁でも「ジョッパリ」があり、「頑固者」「意地っ張り」という意味で使われます。津軽の人の気性を表した方言です。後に韓国には「チョッパリ」という語があることを知りました。「チョッパリ」から「ジョッパリ」が生まれたという説もあります。「ジョッパリ」とは日本人の蔑称であることも知りました。母がそれを知っていて使ったかは定かではありません。

日本が韓国を併合したのが1910年(明治43年)。それが終戦まで続きます。その間、いろいろな言葉、たとえば、「チョッパリ」のような短かく、「便利な」言葉が入ってきます。「チョンガ」。これは結婚をしない、もしくは独身男性を馬鹿にするときに使われる言葉といわれます。私たちの周りには朝鮮語が沢山あることを意識したのは、なんといっても韓国の人と接し、ハングルを勉強し始めてからです。

私は隣国の韓国を随分遠い国だと思っていました。始めて訪れたのは1998年頃です。最初に韓国を訪れたとき、ソウル教育大学校の先生とお会いしました。私はハングルを全然知らないで行ったので英語で表敬の会話を交わしました。訪問の終わり頃、この方が「成田先生、私たちは日本語を知っています。先生もハングルを勉強してください」というのです。韓国人と私とが英語で会話するというのは、確かにおかしいものです。このとき、ハングルを学ぶことの大切さを痛感したものです。