イスタンブルとソフィアの旅から その4 ビザンチン帝国とイスタンブル

鯖サンドを売る広場の波止場から、またトプカプ宮殿(Topkapi Palace)の丘から金角湾が望めます。「アジアとヨーロッパを結ぶ東西交易ルートの要衝と知られるようになったのは、天然の良港である金角湾にある」とWikipediaに記されています。宿のバルコニーからも金角湾上に沢山の船が見えます。金角湾を出た東にはボスポラス海峡(Bosphorus)があり、ここに2013年に日本の企業等が造った海峡を横断する鉄道トンネルがあります。

歴史の教科書を調べてみます。330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世(Constantine the Great)が、古代ギリシア(Greece)の植民都市ビュザンティオン(Byzantion)の地に建設した都市、これが今のイスタンブルです。ローマからビュザンティオンに首都を移し、ここを「新ローマ」と名付けます。ローマ帝国の東半分の帝国は、この地名にちなんでビザンチン帝国(Byzantine Empire)と呼ばれました。

コンスタンティヌス1世

イスタンブルの旧名はコンスタンティノポリス(Constantinopolis) とかコンスタンティノープル(Constantinople)と呼ばれました。イスタンブルの旧市街とはこのコンスタンティノープルのことです。コンスタンティノポリスは、コンスタンティヌスの町という意味です。ポリス(polis)という言葉は都市とか街のことです。ギリシャのアテネ(Athens)にあるアクロポリス(Acropolis)は、丘の上にある街(city at the top)とあります。誰もがアクロポリスついて高校の世界史でも習いました。