世界を旅する その五 ポーランドと日本 分割から連帯へ

1500年代、ポーランドはヨーロッパで最も大きく強大な国家でした。1772年から1918年まで、ロシア、プロイセン(Prussia)、オーストリアといった絶対主義体制の国々が台頭します。ロシアはロマノフ家(Romanov)、プロイセンはホーエンツォレルン家(Hohenzollern)、オーストリアはハプスブルク家(Habsburg)が統治した国です。ポーランドはこの三国によって分割・併合され、ポーランドという国家が消滅するという歴史もあります。

こうした困難な時代にあってもポーランドの文化や芸術は豊かだったといわれます。思想的にもパルスキ(Kazimierz Pulaski)やコシスコ(Tadeusz Kosciuszko)といった愛国指導者が現れます。この二人の思想はやがてアメリカの建国やフランス革命にも受け継がれていきます。1791年にポーランド憲法が制定されます。この憲法はヨーロッパで最も古いものといわれます。こうした思想家の思想が国民に広く理解されるとともに、1918年に国家が再興されます。

ポーランドは二つの大戦で翻弄されます。第二次大戦は特にポーランド人民に過酷な試練を与えます。その代表はユダヤ系ポーランド人に対するホロコスト(Holocaust)で、これに並ぶ悲劇的な歴史はないと思われます。数百万人の非ユダヤ系ポーランド人も犠牲となります。ナチスの支配が終焉するとポーランドは共産圏の衛星国としてソビエトの支配下におかれます。

こうして半世紀にわたる共産主義体制での統治が続く中で、労働者やカトリック教会は、共産主義支配の経済の失敗を叫けんでいきます。1970年代後半、レフ・ワレサ(Lech Walesa)らが率いる独立自主管理労働組合「連帯」が結成され、民主化運動が全国に広がります。そして1989年にポーランドは共産主義体制から民主主義体制へとなります。