Last Updated on 2025年2月11日 by 成田滋
私もいよいよ今年の11月で83歳を迎えます。大学での定年退職後、福岡にある小さな定時制の私立高校の校長をやりました。数年後理事長と教育経営で対立し辞したとき、「さあ、これから好きなことができるぞ」と張りきったものです。やがて、「本を読めるとは定年の負け惜しみ」という川柳に出会いました。
考えてみると退職というのは「定年退職、いわばチューブのしぼりかす」でありまして、組織の年令構成を一定に保ち、高齢者の賃金や雇用条件を下方修正するためにあります。熟練労働者の確保や定着というような労働力を大事にし、その転出を押さえ込むという考えは昔話となりました。
かつて「停年」と言う用語がありました。「定年」とどう違うのかを調べますと、旧陸海軍の武官にある一定の最小限服務する年数を定めたものとが「停年」とあります。つまり少尉になるには1年、中尉は2年、大尉は4年、佐官は2年というように一定の年限を服務することが昇進の基準となっていました。「停年」とはその階級を最低限務めなければならない年数のことです。こうして停年順に昇進するのです。
この停年制は、今の公務員や高級官僚が、古い者から順に昇進していくしきたりに残っています。停年制では能力や功績が主たる昇進の基とはならないのです。以前は一般には規則による所定年令で職を退き、辞めることを停年といっていました。それが廃れて定年に代わったのは戦後の法令用語の統一にあったようです。昭和46年9月に内閣法制局は、最高裁判所裁判官の定年を70歳としています。ちなみに裁判法の第五十条の見出しは「定年」となっています。
現在の定年制度は、労務管理による雇用と賃金を押さえ込むことにあります。国家公務員の場合、給与法によって55才を超えると昇給が停止します。思うに、人の能力や技能は加齢によって急に減退するものではありません。現に定年退職の年令は60歳から65歳へ上がっています。やがて70歳となるのもそう遠くはないでしょう。平均寿命が延びる今日、60歳前後に定年で引退させるのは、たいして意味がないように思われます。
「一つずつ言いたいことを消して老い」 という川柳を引用してこの稿はお開きとします。