徘徊には意味がある

2012年は認知症患者数が462万人と、65歳以上の高齢者の7人に1人といわれた。2040年には65歳以上の高齢者層の46.3%が認知症となる可能性が予測されている。すごい数字だが、一人一人、それぞれに生き方や家庭事情がある。

徘徊したくなる理由がある。筆者も徘徊者の一人となっている。山登りである。徘徊の理由。それは、少々気障であるが「山がそこにある」からであるからだ。山脈を遠望するとき、その山に登った光景が脳裏に浮かぶ。この瞬間はなにごとにもたとえようがない至福の時である。そして「もう一度徘徊しよう」という気持ちが疼くのである。

徘徊には、電車の乗りたがる者もいる。長年、通勤で満員電車に揺られたに違いない。それを追体験すると考えれば、徘徊するのは納得がいく。周りがおかしいとか困ったものだと遠ざけるのではなく、その人なりの脈絡があるはずだと考える度量が欲しい。

買い物をしながら籠に入れた品を食べる高齢者もいる。
 店員: おばあさん、おばあさん、今買った物はどうしたの?
 おばあさん: 食べてしまった。
 店員: 駄目じゃないですか。お金を払ってから食べないと。
 おばあさん: だけど払わないで食べる政治家もいるらしいけど。
 店員: それとこれは別。今度からきちんと払ってくださいよ。
 おばあさん: ああ美味しかった。この店気に入った。また来る。

一人家で逼塞しがちな高齢者を外に連れ出して、店員との間でこのような会話をさせたいものだ。高齢者に対応する店員研修が必要。笑って明るく接触して欲しいものだ。買い物に出るのは楽しみなのだから。次のエピソードは私の母親と医者との笑い話。

母親が一時介護施設に入るとき、医者との問診があった。次のよう対話だった。
 医者: お名前やお年は言えますね。、、、、、、
 医者: 次ぎにナリタさん、1000足す1000はいくつですか?
 母親: (ムニャムニャ、、、、)
 医者: では、1000円足す1000円はいくらですか?
 母親: 2000円!

(投稿日時 2024年12月8日)