徘徊の人生

かつてのゼミ生であったA.N.君が、連休の北海道旅行の写真をFBで紹介してくれた。写真は網走、斜里、知床、美瑛などの冬の景色であった。特に美瑛のあたりはアメリカ中西部やコロラド付近の景色に似ている。旭川から層雲峡経由で雪の石北峠を車で通過したようだ。その写真を見ながら昭和20年代の記憶が戻った。そして彷彿として美幌での生活が蘇ってきた。

私は昭和20年に樺太から引き揚げて道東の美幌に落ち着いた。1歳と3歳の私、5歳の兄を連れて母は親戚を頼りにこの地にやってきた。美幌には小学5年まで暮らした。それから名寄へ。中学2年の時稚内へ。高校2年からは旭川へと移った。10代はこのように道東と道北を転々とした。ようやく札幌に出て、生活が苦しかった学生時代を謳歌した。両親はせっせと仕送りをしてくれた。思い起こしても涙がでそうだ。

東京では大学院生活をした。丁度70年安保の最中であった。それから幼児教育を始めるようにという指示で沖縄は那覇へ渡った。7年の那覇でので生活後、アメリカは中西部へ家族を連れて勉強に出掛けた。7年近くが経過していた。

帰国してからは横須賀の久里浜にある研究所で職を得た。10年後ゆえあって兵庫県で教師養成の仕事に就いた。樺太、北海道、東京、沖縄、アメリカ、神奈川、兵庫と転々とした。まるで根無し草のようだったと述懐している。これは徘徊というか流浪というものだろう。

どの土地での生活は、今も脳裏に焼き付いて忘れることなどない。思えば最北端の北海道から最南端の沖縄まで渡り歩いたことは幸いなことだった。このような体験はそうできるものではない。好奇心が倍増したのは、こうした渡り鳥のような体験にある。新しい環境に置かれる度に、学ぶ機会が広がった。そして「不思議だな、、なぜかな」と考えさせてくれる異文化に限りなく遭遇した。

見知らぬ場所で見知らぬ人々に出逢ってきた。これもなにかのご縁だ。見えざる手に導かれようやく終の棲家に落ち着いた。しかし、またまたどこかへ行きたいという衝動がうずいている。アメリカか、それとも遠い遠い西国への旅か。その日が来るのを楽しみにしている。

人は生まれる場所は選べませんが、住む場所は選ぶことができます。北海道の夏はよいですが、沖縄も住みやすいです。アメリカの中西部は四季がはっきりしていいのですが、冬の寒さが、、、

衣食住も所変わればいろいろです。これから夏に向かって、いかに蒸し暑さをしのぐかです。沖縄の伝統的な家は、床下をかなり高く取って、床下の通気を良くし湿気を逃がしています。校倉造というわけです。日本人は「住まい」に涼を求めてきた民族といえましょう。(2013年5月15日)