留学の奨め その14 感謝祭(Thanksgiving)の由来

Last Updated on 2025年2月1日 by 成田滋

苦しい留学生活にもつかの間の寛げる時がくる。どの学生にもやれやれと安堵する短い時である。9月に始まった新学期に一息つけるからである。勉強に相当疲れた頃にやってくるのがThanksgiving (感謝祭)の休暇である。11月の最終木曜日。翌日はBlack Friday。大抵の州ではこの週末は4連休となる。

1598年に今のテキサス州(Texas) のエルパソ(El Paso)でThanksgivingが祝われたといわれる。1619年には、ヴァジニア植民地(Virginia Colony)でThanksgivingが執り行われたという記録もある。1621年にはマサチューセッツ(Massachusetts)のプリマス(Plymouth)という港町で収穫に感謝する祝いが開かれた。これが現在のThanksgivingの原型だといわれる。

しかし歴史家には別の主張をする者もいる。1623年の植民地に干ばつが長く続いた。その後に雨が降り、幸い作物を収穫できたことを人々は感謝したという。そして祝いの宴(feast)ではなく感謝の礼拝(worship service)が行われたのが原型だというのである。これもなるほどと頷ける。苦難の後の平穏な暮らしは人々に感謝と喜びを与える。それを形に行動によって示すのが人間の性であろう。

11月最終木曜日が国民の祝日となったのは1789年である。そのときの大統領は初代のジョージ・ワシントン(George Washington)。すべての州がThanksgivingを祝日としたのは1863年のことである。

しかし、国民誰もがThanksgivingを祝うわけではない。1970年以降、一部の先住民族であるネイティブアメリカン(Native American)とその支援者は、この日を「全米哀悼の日」(National Day of Mourning)として抗議の日としている。プリマスにあるプリマスロック(Plymouth Rock)の前で記念式典を開いている。また、この日は「アメリカインディアン遺産記念日(American Indian Heritage Day)」ともされている。伝統文化や言語の遺産を再認識する日としている。プリマスロックの前にある記念碑には「1620年に清教徒団が上陸した場所」と記されている。

プリマスには、メイフラワー号のレプリカが停泊している。プリマスはPlimothとも綴られる。Plimoth Plantationという植民地村が野外博物館となっている。ボストンから南西に車で30分から40分のところに位置し、植民地時代の歴史遺産の勉強には必見の場所である。

私の初めての感謝祭は、ミルウォーキーに住んでおられた元宣教師宅に招かれた時である。小雪がちらつくインターステイトという高速道路を飛ばし着いたときはほっとした。お宅の中は暖房がきいて食卓には七面鳥やご馳走が並んでいた。初めてのこうした経験は今も忘れることができない。アメリカ人の暖かさや親切さを経験した時でもあった。

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