その6  引退碁の意味すること

Last Updated on 2025年2月28日 by 成田滋

この引退碁を川端は「名人」本因坊秀哉を通して、伝統と新興勢力との対決の勝負と捉えます。持ち時間、打ち掛け、封じ手など、現代的な対局規則による戦法の手に負けても、〈一筋の乱れもなく戦つた〉名人には、敗着そのものへこだわりは薄く、勝負には負けても「芸術として棋面」を創ろうとしたその姿勢に「精神の高雅さ」を見るというのです。川端は「真に芸に生きた人の雄姿」である名人の生涯最後の勝負碁における負けや戦いぶりは、「新しい合理主義が日本に持ち込まれても、日本の古い伝統の中に潜む美は微動だにしない」という矜持に繋がっていると、、、、」

 しかし、負けは負けです。川端は名人の敗北を、一つの時代の終焉としてはっきり描き、更に意識の底で日中戦争や太平洋戦争の敗戦をも予感するような書き方をしているように思われます。日本近代文学研究者の羽鳥徹哉は『名人論』という著作の中で、「東洋に古くから伝わる「芸道」としての碁が、近代合理主義戦法に敗れる姿に、川端が秀哉名人への挽歌、「古い日本への挽歌」として捉えようとした」と解説します。

本因坊秀哉(Wikipediaより)

 文芸評論家の山本健吉も名人文庫の「解説」の中で次のように述べています。「もう秀哉名人のような、古風な芸道の人として対局に臨む人はなくなった」と。囲碁でも将棋でも、スポーツと同じように単に「選手権を争う仕合」と化した時勢に触れつつ、合理の世界と非合理の世界の関係から生じる「”いにしえ”の世界の崩壊」であったとも解説するのです。

 本稿では、川端が名人の死顔を克明に綴った箇所を引用しません。名人の死にのぞみ引退碁という派手な行事について、川端は人生の象徴のような碁に対する純粋な姿を描写し、囲碁愛好家のみならず、文学愛読者を魅了しているように思われます。 (2023年7月26日)

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