その二 「跡・形跡という意味もある」

Last Updated on 2025年2月15日 by 成田滋

通常、エビデンスとは、非常に有力な情報とか、信頼に値するデータであるという響きがある。そこで辞書で調べると、エビデンスとは、(1) 内的(外的)証拠、(2) 手本・例、(3) 跡・形跡、(4) 明白さ、(5)証人 とある。前回のパソコンの誤認逮捕は、「形跡」を状況証拠と取り違えたためであることがわかる。このようにエビデンスを軽々しく用いると成りすましのように間違った判断をしてしまう厄介なものなのである。教育や心理の世界では、この類の落とし穴や間違いがあることを喚起したい。それが今回のテーマである。

 「エビデンスベース: evidence based」とか「エビデンスオリエンテッド: evidence oriented」というフレーズを使う論文を手にすると、読者は何を連想するだろうか。通常は、「この論文のデータは信頼できそうだ、」「誰がみても明らかで妥当性がありそうだ、」などと思うかもしれない。こうしたフレーズを使う研究者やその卵がそう思うのであるから、学生や院生はなおさら「そうなんだろうな、、」と信じ込んでしまう。恐ろしい現象だ。実験計画を知らない研究者が多すぎる。大学で統計の基本や実験計画を履修していないせいだ。

 自然科学とは異なり、行動科学では人間の様々な事象をある種の条件下で観察したり実験したりする。それによって、特徴や変化などを調べる。ある行動の出現は、特定の条件下において生起すると考えるのである。だが人間を取り巻く環境は、千差万別、行動科学の実験は誠に難しいこと限りないのである。

 エビデンスはデータというように置き換えても差し支えない。データというものは、環境を制御することによっていかようにも代わりうる性質がある。しかも、人間とは、刺激に対して意思とか感情が介在することによって、予測しがたい行動をとる存在でもある。それにも関わらず、「これこれのエビデンスによって、かくかくしかじかとなった」と結論を下す。短絡的と言わざるをえない。むしろ、「性質や行為を明示する跡が表れた」というほうがよろしい。

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